〝別格のテーラー〟
ティンダロ・デ・ルカの
テーラリング文化遺産。
渾身のアーカイブスーツを
受け継ぎませんか?
撮影・文/山下英介
ミラノの一等地にサロンを構え、知る人のみぞ知るトップテーラーとして君臨したものの、2018年に逝去したティンダロ・デ・ルカさん。彼が自身のために仕立て、遺された大量のスーツを受け継いだのは、その腕前と人柄に惚れ込み、長年にわたって親交を深めた日本人、神藤光太郎さんだった。そしてこの冬、その膨大なアーカイブコレクションを「ぼくのおじさん」のアトリエで販売してくれるとのこと・・・! その目的と、ティンダロさんの凄さについて語ってもらった。
「有名になりたくなかった」
トップテーラー
神藤さんとティンダロさんはどんなお付き合いをされていたんですか?
神藤光太郎 初めて出会ったのは、私がリデアカンパニー(ストラスブルゴ)に勤めていた2000年代半ば〜後半頃だったと思います。当時はいわゆるクラシコイタリアブームがひと段落して、有名どころのテーラーはある程度出尽くした状況だったのですが、新しいテーラーを発掘せよという社命を受けていたんですね。そんなときにビームスの名バイヤーである中村達也さんから、「ミラノのティンダロ・デ・ルカというテーラーはすごいよ」という話を伺って。そこで初めてその名前を知ったんです。
本当に知る人ぞ知る存在だったんですね。
神藤 ネット情報もありませんでしたしね。それでイアリアの電話帳を調べたところ、ミラノのフォーシーズンズホテルの向かいに彼の工房があったんです。フォーシーズンズは前職の社長の定宿だったので、コンシェルジュに聞いてみたところ、ティンダロさんはここのバーに毎日のように飲みに来ていたことがわかった。そんなふうに攻めていって、工房に行って、スーツをつくって、仲良くなって、日本に招聘するようになったんです。日本でトランクショーを開催するときは毎晩飲みに行ったし、観光にも連れて行ったし、本当によく遊びましたね。
ティンダロ・デ・ルカさんの不思議なところって、超ベテランでその存在を知る人は誰もが絶賛するほどの凄腕サルトなのに、雑誌にもネットにも情報がほとんど転がっていないことなんですよね。クラシコイタリアブームのときも、全く取り上げられていなかったですし。
神藤 彼は有名になりたくなかったんですよ。年間何千万円も使うような上流階級の顧客がたくさんいて、仕事にもお金にも困っていないのに、どうしてわざわざ俺がメディアに出て宣伝する必要があるんだと。もちろん生地屋や同業者の中では有名で、デザイナーのジャンニ・ヴェルサーチが顧客でした。
そんな人がわざわざ東京まで来てトランクショーを開催するのもすごいですね。
神藤 ティンダロ・デ・ルカはイタリアで最も高価なサルトリアのひとつでしたから、円高だった頃でも1着100万円近くはしていました。それでもお客さんは絶えなかったから、ビジネスのことだけを考えたら、東京まで来る必要はなかったんです。お互い赤字ですよ(笑)。雑誌のインタビューも日本だけでは受けてくれたのですが、「お前に頼まれたから出るわ」みたいなことを言ってくれました。本当にウマが合ったということなんでしょうね。とても破天荒な性格で、女性も大好き。嫌いな人とは絶対に付き合おうとはしませんでした。そういえば彼は「俺がいなくなったらミラノのテーラー界は終わる」と断言していました。自信の塊なのに自己顕示欲はないという、不思議な人でしたね。
ティンダロのスーツは
テーラリングの文化遺産
やっぱり、世界の一流テーラーを見続け、日本に紹介してきた神藤さんから見ても、実力はすごかったですか?
神藤 完璧だと思っていました。彼の洋服には手を抜いているところも破綻も一切ない。特に変わった仕立て方をしているわけじゃないんですが、非常に理に適っていて、ありとあらゆる箇所がきれいなんですよ。そして仮縫いに関しても、一発目の精度が異様に高い。本人はよく「俺のスーツは幾何学的にも正しい」って言ってました。完成品に対する美意識と、技術の精度、そして探究心は群を抜いていました。現状に固執せず、死ぬまで新しい技術を試していましたよ。
確かイタリアの名門「カラチェニ」の系譜なんですよね?
神藤 そうですね。シチリア出身で、ローマを経て、ミラノのNO.1テーラー「ドメニコ・カラチェニ」で修行しました。そこにはジョバンニ・リズーリアという名人がいて、徹底的にしごかれたそうです。縫ったジャケットを見せたら投げつけられたとか(笑)。ですから彼自身も仕事に対してはとても厳しくて、ストラスブルゴでトランクショーを開催したときは、当時働いていたテーラーの大島崇照(おおしまたかあき)くんに、ものすごく厳しく技術指導していました。昭和な人だから、けっこう強烈でしたよ。
私も大島さんからそのときの話は伺いました(笑)。しかしそんな元気だったティンダロさんが、2018年に突然亡くなられてしまうという。
神藤 娘さんからの電話で知らされたのですが、まだ70歳になったばかりでしたし、全く予期していなかったのでショックでしたね。近々またミラノのフォーシーズンズで飲もうという話をしていましたし。
跡継ぎはいなかったんですか?
神藤 もちろん職人さんは抱えていましたが、息子や番頭的な存在もいなかったので結局クローズしてしまいました。そこで娘さんのもとに遺されたのが、本人が自分のために何十年もかけて仕立てていた、大量のスーツやジャケットです。テーラー業界に全く関わっていない娘さんには手に余るシロモノでしょうから、私が責任をもって全部買い取って、好きな人に着てもらえたらな、と思ったんです。
ご本人もものすごく趣味のいい方でしたよね。
神藤 シックでバキバキの英国生地が大好きで、イタリア生地はあまり好んでいませんでした。シャツ生地は白のカルロ・リーバ、ネクタイ生地は黒のフォサッティと決めていたかな。当然、遺されたコレクションはそんな趣味に基づいたものばかりですから、素晴らしいですよ。彼は比較的小柄でしたし(165㎝程度)、つくられた年代も全く違うので、合う合わないはありますが、フィットする人にとっては最高の宝物になると思います。でも、彼のスーツは本当にすごいから、服飾系の学生さんをはじめ、ファッションやテーラリングを勉強している方に引き継いでもらえたら本当に嬉しいです。たとえサイズが合わなかったとしても、最高の教材になるでしょうから。
イタリアのテーラリング文化の最高到達点というか、文化遺産のようなものですからね。私も拝見しましたが、ズラッと並ぶとまるでミュージアムのような迫力です。
神藤 彼の仕立てははっきり言ってモノが違いますから。今現役でやっている人には申し訳ないけど、比較すらできません。おそらく今後、彼を超えるテーラーは二度と現れないとぼくは確信しています。
クラシコイタリア文化の立役者のひとりだった神藤さんにここまで言わしめるティンダロ・デ・ルカのスーツを、ぜひとも体感しに来てください!
ティンダロ・デ・ルカ
パーソナルアーカイブ
POP UPストア開催!
神藤さんがイタリア史上NO.1サルトと太鼓判を押すティンダロ・デ・ルカさん。彼が1970年代から2010年代にかけて仕立て、自らが着用したコレクション約60点を集めたポップアップストアを、「ぼくのおじさん」のアトリエで開催します!
ティンダロさんは比較的小柄な方(身長165㎝程度)だったので、当然万人にフィットするものではありませんが、ビスポークスーツとは世代を超えて受け継げるようにつくられているもの。お直しによっては一生の宝物になるスーツが手に入るかも!? たとえフィットしなくても、テーラリングを学んだり、興味のある方にとっては最高の教材であり、嗜好品であり、工芸品であることは間違いありません。
文化遺産クラスのスーツやジャケットをご覧いただける貴重な機会を、くれぐれもお見逃しなきよう。
【場所】
Atelier Mon Oncle
住所/東京都新宿区水道町1-9 しのぶ荘(地下鉄東西線神楽坂駅から徒歩4分、地下鉄有楽町線江戸川橋駅から徒歩6分程度)
【開催日時】
2024年12月14日(土)12:00~19:00
2024年12月15日(日)12:00~18:00
【価格】
スーツ¥100,000+税〜
スリーピーススーツ¥120,000+税〜
※その他ジャケットやジレ、パンツなどもあります。
【ご注意】商品はすべてティンダロさん自身が仕立て着用したユーズド品です。ご試着は可能ですが、商品の修理や寸法直しについてはご自身でお願いいたします。ご購入された方には、推奨お直し店の割引チケットを差し上げます。
【入場】
フリー(予約不要)
入場者様が多数いらした場合、付近でお待ちいただくこともありますので、ご了承ください。
【決済方法】
現金、クレジットカード
【ご予約・イベントのお問い合わせ】
info@mononcle.jp
もしくはInstagramのDMにてお願いいたします。