2025.1.22.Wed
今日のおじさん語録
「人間は一人では生きることも死ぬこともできない哀れな動物、と私は思う。/高峰秀子」

ジェイエムウエストンに
留学した
日本の若き靴職人が
そこで見たこと、
学んだことって?
後編・山﨑千里さんの場合

撮影・文/山下英介

ジェイエムウエストン財団による交換留学プログラムを利用して、靴好きなら誰もが見てみたいその工場に留学した、ふたりの日本人職人さんのインタビュー。後編は驚きのキャリアをもつ職人、山﨑千里(やまさきちさと)さんに迫った。ジェイエムウエストンのものづくりもすごいけど、確固たるビジョンをもって異業種から靴の世界に飛び込んだ、ふたりの職人さんもすごい! 

ゼネコンから
靴づくりの道へ!

前編はこちら!

山﨑千里さんは現在33歳。一般企業での海外勤務を経て2022年から東京都立城東職業能力開発センター台東分校製くつ科や工房で靴づくりを習得。現在は浅草にある革の卸売会社で靴のOEMを担当している。朗らかな笑顔と語り口が印象的。
前回ご登場してくれた庵さんと同じく、山﨑さんも一般企業から靴の仕事に転職されているんですよね?

山﨑 もともと新卒からゼネコンに就職しまして、事務系総合職と呼ばれる仕事をしていました。管理部門の予算をつくったり、資金を管理したり。だいたいひとりで10くらいのプロジェクトを管理していましたね。

ゼネコンですか! それこそ全く靴との共通項が思い浮かばない・・・(笑)。どうやって靴の世界に行き着いたんですか?

山﨑 私はもともと世界と日本の架け橋のような存在になりたくて、ゼネコンに入社したんです。入社2年目からは海外事業部で働いて、最後はミャンマーに駐在して大型プロジェクトを担当していました。でも、そこでものづくりの現場を目の当たりにしたことで、自分の仕事との温度差を感じてしまったんです。自分ももっとものづくりの中心に行きたいって。そんなときにミャンマーの政変によって帰国することになり、プロジェクト自体も終了したことで、自分がこの会社でできることはもうやりきったなと思うようになりました。そして次はものづくりをやってみたいって。

国家規模の仕事をされていたんですね! ますます靴とは遠い世界のような気がしますが・・・。

山﨑 最初は建設系で考えていたのですが、靴をやってみたくなったんです。バッグや小物と違って、靴って曲線が多いですよね? それで気になって調べてみても、洋服みたいに型紙の本が売っていない(笑)。

それはそうですよ(笑)!

山﨑 それで靴って面白そうだなって。私が携わっていたゼネコンの場合、何千人が集まってひとつの建物をつくる世界なのですが、靴だったら私のような非力な人間でも型紙や設計に携われるんじゃないかって。

そういうことですか!

建物づくりと靴づくりに
共通点ってあるの?

山﨑 そんなときたまたま、東京都立城東職業能力開発センターの台東分校製くつ科(以下台東分校)に1年コースというのがあることを知り、ここに通ってダメだったら元の業界に戻ろうかな、という感覚で入学したんです。

それは軽やかだな〜。でも全く違う世界だから、当然ご家族や周囲の方は「エッ」となりますよね?

山﨑 そうなんです。正直家族には言えなくて、入学する直前に「実はもう会社を辞めて・・・」と打ち明けました。ただ最終的には靴も建物もいっしょだよ、って(笑)。

でも実際、建築をやっている人が靴やバッグをデザインするケースはたまにありますよね? 共通項があるのかなあ。

山﨑 あると思います。今私がやっていることって、前の会社で設計士さんがやっていたことと変わらないなって思うことが多いんです。ゼネコンの場合、クライアントさんが持ってきたデザインをもとに、職人や協力会社さんとを繋ぎながら、一緒につくっていく仕事なんですね。そして私が今やっている靴の企画も、クライアントさんや協力してくれる工場さんとともに、どうやったらいいものがうまくつくれるかを考えていく仕事なので。

確かに!

山﨑 デザインより安全面を重視しなくてはいけない点も、建物と似ています。デザインがよくても足に負担をかけたり素材が色移りしたらいけませんから、そういうことを考えているとき、建築と似ているなって。

とても興味深い視点です。山﨑さんは靴づくりをいちから学ばれたんですか?

山﨑 そうです。台東分校は職業訓練校なので、縫製や底付け、パターンメイキングがメインでした。そこを卒業した後に、浅草にあるレザーの卸売会社に入社して、靴のOEMを担当しています。小さな会社なので、最初は生産管理から始まって、今は企画や営業もやっています。なかなか未経験で企画はやらせてもらえませんし、ひとりで色々できてラッキー(笑)。

一気通貫ならではの
余裕あるものづくり

ジェイエムウエストン ファンデーション賞の授与式にて、ともに1ヶ月の研修生活を過ごした庵憲人さんと。
ポジティブな方ですねえ(笑)。そんな仕事の傍ら、今回のプロジェクトに応募されたのは、どういう理由だったんですか?

山﨑 私が通った台東分校の卒業生はだいたい縫製や底付けの工場に入社して、職人として働くんですね。でも私はたまたまご縁があって今の会社に入ったので、工場で働くという経験を経ていないんです。そこにずっとモヤモヤした気分を抱えていて。あとは工場の人と話すときに、「実際の現場ではこうで」みたいなことを言われることが多いのも、気になっていました。

本来ならば職人として工場に勤めるというキャリアパスもあるんですが、年齢も年齢ですし、こういう密度の濃い研修で、工場との距離をグッと詰めたいと思って応募しました。このプログラムは、1ヶ月間丸々工場に常駐できて、全部の工程をまわれるという点が魅力的だったんです。

ジェイエムウエストンのことは知っていたんですか?

山﨑 もちろんです。誰もが知っている憧れの靴ですよね。これは内緒なんですが、クライアントさんから見せられるイメージ写真でも何度も拝見しています(笑)。

インスパイアの源ということですね。130年以上の歴史があるんだから仕方ない(笑)!

山﨑 そういう一流の工場で、一流のものづくりを見たいなって思いました。

庵さんもそうでしたが、山﨑さんがとても広い視点で靴づくりを捉えておられることにハッとさせられました。そして実際に働いたジェイエムウエストンの工場はいかがでしたか?

山﨑 皆さん本当にのびのびと働かれていましたね。物理的な広さもあるんでしょうけど、リモージュという土地柄もあるのか、滞在中大きな声を聞いたことが一度もなかったくらい、すごく職人さんが穏やかなんです。私も本当に心穏やかに過ごせました。

素晴らしい環境だったんですね。

山﨑 とてもいい光が入る工場で、浅草では感じられない光を感じてきました(笑)。ジェイエムウエストンは一気通貫でものづくりをしていますが、どうしても日本の靴産業は分業制で小さな町工場が中心ですから、それは大きな違いですよね。

そして研修の最後につくられた靴がこちらですか! ジェイエムウエストンではあまり見ない茶系のコンビネーションが素敵です。

山﨑 最初にリモージュに着いたときに、受付の方にチョコレートをもらったんです。だからちょっとチョコっぽい感じにしたくて(笑)。

紳士的でカッチリしたジェイエムウエストンのダブルモンクストラップシューズも、山﨑さんの個性あふれるアレンジが加わることで、カジュアルにもマッチする愛らしさを湛えた一足に。
あ、ライニングのレザーにプリントが施されているんですね!

J.M. WESTON これは「コレクションパピエ」といって、現アーティスティックディレクターのオリヴィエ・サイヤールが、工場で見つけた古い本に使われていた紙をモチーフにデザインした革なんです。

山﨑 日本では靴の脱ぎ履きが多いので、私もライニングにこだわりたくてこの革を使ったのですが、工場長には「日本的だね」って誉めてもらえました。でももったいなくてまだ履けていないんです〜(笑)!

確かに履き込むと見にくくなっちゃいますもんね(笑)。しかし、底付けもお見事ですね。

山﨑 正直いうとそこはかなり手伝ってもらいました(笑)。私が通った学校ではハンドソーンは勉強したんですが、グッドイヤーはやらなかったので。でもそんなふうに、私が今まで知らなかったことも含めて一から十まで見させていただいたことは、本当に勉強になりました。ジェイエムウエストンの皆様には本当に感謝しています。

山﨑さんは海外志向が強いわけですから、そのまま残って働きたかったんじゃないですか(笑)?

山﨑 そうですね。でもこの経験をもとに今の仕事をブラッシュアップすれば、工場の職人さんもよりよく仕事ができるし、クライアントさんが求めるものもより形にできるようになるだろうなと思って、渋々帰ってきました(笑)。

靴づくりを通して
日本と海外の架け橋になりたい

建築や設計に造詣が深い山崎さんは、ジェイエムウエストンのアーティスティックなディスプレイに興味津々。
山﨑さん的には、どのあたりが現在の仕事に活かせそうですか?

山﨑 ジェイエムウエストンではとてもうまく現場がまわっていることを感じたのですが、その要は仕様書だと思うんですね。だから私がこの経験を今の会社で活かすとしたら、できる限りわかりやすく見やすい仕様書をつくりたいなって思いました。

ひとつの技術というよりも、全体をうまく回すという考え方は、山﨑さんならではの面白い視点ですね!

山﨑 今の職場では、私自身が手作業でサンプルをつくってお客様に見てもらうことがあるんですが、ある意味では手作業ってごまかせちゃうんです。でもそれを隠しながら進めていくと、セカンドサンプル、サードサンプル、ファイナルサンプル、そして量産まで気付かずに完成してしまって、後々大きな問題になってしまう危険も秘めています。でも、ジェイエムウエストンの工場にいる人たちは絶対にそれをやらないと思います。私もごまかさない職人でありたいと思っているので、とても共感しました。

その感覚はちょっとわかるなあ。最終的には工場のみんなが再現できるプロダクトにしないといけないですもんね。

山﨑 お互いに負担のないセッションをしないといけませんから。そういう意味ではジェイエムウエストンの工場を知れたことで自分の視野が広がったというか、ものづくりの奥まで見えた感覚は、今後の仕事に活かせるかなって。

山﨑さんみたいなキャリアの方だと、逆に叩き上げの職人さんたちとはコミュニケーションを取るのが大変なこともあるでしょうしね。「あいつ大学出らしいぜ」みたいな(笑)。

山﨑 そこまではないですが、正直苦労したことはあります。でも私はめちゃくちゃ電話もするし、しつこく現場にも行くので、徐々にわかってもらえたと思います。今では「ヤマサキさんって意外と泥臭いししつこいよね」なんて言われますし(笑)。

ゼネコンでもそういう仕事をされてきたわけですからね。

山﨑 はい。だから意外と繋がっていて、自分が目指していたことに少しずつ近づいているような気はします。

将来の夢ってなんですか?

山﨑 やはり海外と日本の架け橋になりたいという夢は変わりません。フランスの工場も日本の工場も見てわかったのは、日本の職人さんって縫製も底付けも本当に上手なんです。でもなかなか世界的に認められるような工場、特に女性の職人さんが出てきていないので、私はそれを後押ししたい。日本のものづくりはすごいよって。

J.M. Weston Foundation

日本とフランスの靴職人交換留学プロジェクト「ジェイエムウエストン ファンデーションアワード」の次回開催に関しては、まだ詳細は未定です。ホームページなどで随時情報をアップデートしているので、ご確認ください。

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