2025.3.2.Sun
今日のおじさん語録
「なんのために生まれて来たのだろう。そんなことを詮索するほど人間は偉くない。/杉浦日向子」
お洒落考現学
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連載/お洒落考現学

80年代DCブランドは
日本の財産だ!
古着屋「スノッブ」の
オーナーは
22歳の大学生だった

撮影・文/山下英介

あるときはスタイリスト。またあるときは編集者。そしてバイヤーにしてデザイナーでもあったという、もう何者なのかわからないほどすごい人! 1980年代から現代に至るまで、さまざまな分野でぼくたちにファッションの面白さを教えてくれた小沢宏さんは、ただいま故郷の長野県上田市在住。この地につくった「エディストリアル ストア」というショップをベースに、〝ライブストック〟という新しい概念を伝えるために、日々奮闘中なのだ。今回はそんな小沢さんがちょっと面白いヤツを紹介してくれるということで、「ぼくのおじさん」は上田へと向かった! 今回はパパスのWebマガジンとのコラボレートでお届けします!

国立大学に通う
古着屋オーナー

今日は小沢宏さんのご紹介で、上田市内にある80’s古着店「スノッブ」に来ております! 店主の市村修蔵さんは現役大学生らしいですが、ものすごい世界観のお店ですねえ。
上田市の中心地、有名なお蕎麦屋さんのすぐ近くに広々としたお店を構えている「スノッブ」。どういうわけだか洋服のみならずその外観や内装も80’sそのものだから、まるでタイムスリップしたような感覚に陥ってしまう。それにしてもこの空間はいったい・・・?

小沢 お店を見てもらえばわかるけど、けっこういいセレクトでしょ?

私自身、80年代のDCブランドのブームはかすってる程度なんですが、かなりの完成度だと思います! スタイリストである小沢さんは、まさにその渦中にいたんですよね?

小沢 ボクは80年代から『POPEYE』で仕事してたから、市村くんに「小沢さん、この号に出てますよ」なんて言われたりして(笑)。しかしここに並んでる『Olive』とかの雑誌って、当時は300円とかだったからヤバいよね(笑)。

市村 ぼくはだいたい1000円とか払って買ってます(笑)。号によっては5000円するので痛いんですけど、DCブランドの世界に入ったきっかけが『Olive』だったので。

小沢 当時の『Olive』の表4(裏表紙)って、必ずパーソンズだったよね?

市村 そうなんです。『Olive』は82年に創刊されたんですが、83年に編集長が変わって、内容がガラッと変わるんですよ。

小沢 そうそう。急に〝リセエンヌ〟(フランスの女子高生)スタイルを打ち出すんだよね(笑)

市村さん、めちゃくちゃ掘ってますねえ(笑)。感覚だけじゃなくて、ちゃんと調べてやってるんだなあ。

市村 そうですね。昔から収集癖があって。文化服装学院の人たちに知識量で負けるのはイヤやなって気持ちもあるんです。

小沢 あそこの図書館には膨大な資料があるからね(笑)。

あれ、市村さん、長野じゃなくて関西の人なんですか?

市村 そうなんです。上田には信州大学の繊維学部感性工学科に通うために来たんですよ。実は中高はまあまあの進学校に通っていたので、専門学校じゃなくて大学に行かないとお母さんに怒られる、みたいなのもあって、国公立の大学で洋服を学べる信州大学を狙い撃ちみたいな(笑)。

小沢 でもさ、繊維学部ってファッションの勉強全然しないでしょ?

市村 いや、そうなんですよ・・・。正直ババ引いたなって(笑)。

小沢 でも今の仕事につながって結果オーライじゃない。だって、普通にいけば就職先は「小松マテーレ」(合成繊維のトップメーカー)とかそういう世界なんでしょ?

市村 まさにそうなんです。繊維学部には教授のほかに「技術職員」という方々がいて、専門的な知識を学ばせてもらっています。そんな中で『アパレル素材企画-プロフェッショナルガイド』という専門書を読んだのですが、そこには80年代のDCブランド時代に日本の繊維産業が最も盛り上がっていた、ということが書かれていました。なのでぼくがこの仕事でブームを起こせたら、近年苦境に陥っている日本の繊維産業も、もうちょっと元気が出るんじゃないかなって思ったりしますし。停滞した時代に生まれ育ったぼくとしては、〝一億総中流〟時代に憧れますよ!

小沢 市村くん世代にとっては「景気がいいってなんですか?」って話だもんね(笑)。

デザイナーへの探究心から
80’Sに辿り着いた

話を最初のテーマに戻しますが(笑)、市村さんはどうやって80年代DCの世界にたどり着いたんですか?

市村 実は母親からの影響が大きいんですよ。今52歳でアクセサリー関係のデザイナー兼バイヤーなんですが、ハリウッドランチマーケットやL.L.BEANを着てたり、若い頃はグランジだったりしたようで、ぼくもそういうカルチャーをちょっとずつ受け取っていったような気がします。ただ最初は古着とかではなく、現代のインポートデザイナーブランドが好きだったんですけど。

かなり早熟ですね!

市村 でも当時のネットメディアは物足りなくて、高校生時代には本屋さんに毎日通ってファッション誌を立ち読みしまくり、内容を全部暗記するようになりました。大学に入って自分の銀行口座をつくれるようになってからは、高価なデザイナーの洋書を買い漁ったので、いつもお金はなかったですね。サンローラン、アルマーニ、ドルチェ&ガッバーナ、プラダ・・・。それが高じてもっとマイナーなブランドのことを知りたいと思ったときに、『i-D MAGAZINE』とか『THE FACE』みたいなイギリス系の古い雑誌を集めるようになったんです。ちなみに「ぼくのおじさん」も読んでますよ(笑)。「ぼくのおじさん」のアルニスの記事が、「フォレスティエール」ブームの火付け役っぽかったじゃないですか?

その店内には80年代の『POPEYE』や『Olive』『MR.ハイファッション』といった日本の雑誌のみならず、かなり貴重なデザイナーの写真集や洋書もたくさん置かれている。思いのほかハードコアなカルチャースポットなのだ。
そうなんですか? それは光栄です!

小沢 それでレイ・ペトリや「バッファロー」(80年代イギリスで一世を風靡したクリエイティブ集団)のことを知ったんだ。

市村 そうです。そこからさらに80年代の日本の雑誌を開いてみたら、スタイリングがめちゃくちゃカッコいいじゃないですか。それで当時のDCブランドにたどり着いたという。

なるほど〜! 洋モノの文脈をちゃんと習得したうえで和モノに辿り着いているんだ(笑)。

市村 そうですね。音楽も母の影響で、R&B、ロック、パンクといったところは、ひと通り聞いてます。

ギャルソンよりも
ビギやニコルを推す理由

でもそれがどうして、こんなお店を開くまでに至ったんですか?

市村 もともとはこの近くで「ヒノメ」という古着屋をやっていた先輩に誘われて、間借りするような形で始めたんですよ。3ラックやるからって。

小沢 ボクたちはそのときに会ったんだよね。

市村 拾ってもらいました(笑)。そこでぼくは日本のデザイナーズブランドにテーマを絞って商品を集めていたんですが、どうもギャルソン、ヨウジ、イッセイみたいな世界にはそこまでハマらなかった。そんなときに買い付けでゴミの山から見つけたアーストンボラージュに衝撃を受けたんです。

マイルス・デイヴィスにも愛された佐藤考信さんのブランドですね。ちなみにゴミの山っていうのはどういうことですか?

市村 ウエス(機械油を拭うための布)にリサイクルするための洋服を扱っている業者さんがいるんですよ。ほとんどゴミみたいなものなんですが、中にお宝が一着、二着紛れているんです。ぼくとしては「ゴミの中からこんなカッコいい服が出てきた!!」というのが衝撃的で、それからビギ、ニコル、トキオクマガイ、アーストンボラージュといったDCブランドを集めるようになったんです。最初は仕入れ先が全然なかったんですが、だんだんと古着屋の知り合いに共感してもらい、買い付けの要領も掴めるようになって、今ではニコルやビギが10着20着と置けるようになりました。



もちろんギャルソンやヨウジも扱っているけれど、このお店の主役はニコル、ビギ、メルローズ、ピンクハウスetc.といった、ドメスティックなデザイナーズブランド。このお店ではブランドのヒエラルキーが完全に逆転しているのだ! ちなみに価格は非常にリーズナブルなので、ぜひチェックしてみよう。
ギャルソンやヨウジより、ビギやニコルの世界観に惹かれるというのは、どういう感覚なんですかね?

市村 それもやっぱり母親の影響なんですかね。実はぼく、芦屋の甲南中学・甲南高校を出ているんです。同級生は大企業の御曹司ばかりで、授業参観日ともなるとフェンディの毛皮のコートにバーキンを持ってるお母さん方が並んでいる中で、うちの母だけはアフリカの子供みたいなエスニックスタイルという(笑)。もともとはオリーブ少女で、ビギは高すぎて買えないから、ジャストビギとかアトリエサブをよく着ていたそうです。

小沢 パンチあるねえ。

つまり、ギャルソンやヨウジ的ミニマリズムとは対極にあるわけですね。それにしても、前回紹介したトロピカル松村さんといい市村さんといい、甲南学園の出身者にはマニアのDNAが潜んでいるのかなあ(笑)?

市村 でも、最初は同じニコルでも松田光弘さんと小林由紀夫さんの違いもわからなかったので、後から一生懸命勉強しましたけど。

松田さんが創業者で、小林さんは1983年からムッシュ・ニコルのデザインを手がけるようになるんですよね・・・って、なかなか今の文脈ではそういうことは知られていないでしょうね。でも、間借りでショップをやるくらいならわかりますけど、こんな広くて立派なお店を出すのは、さすがに勇気がいるんじゃないですか?

市村 それはタイに買い付け旅行をしたのがきっかけですね。なんのストーリーも文脈も解釈もなく、タイ人が「ジャパニーズブランド!」みたいな括りでヨウジやギャルソンを推す光景を目の当たりにして、このまま間違った形で日本のブランドが伝わっていくのは、よくないんじゃないかなって。やっぱり日本のブランドは、日本人が文化として残していかなくちゃいけない。そしてぼくがDCブランドを扱わなくてどうするんだ、と思ったんです。

それでDCブランドの世界観を伝えるショップをつくろうと。

市村 母からは、昔のパリにあった「エミスフェール」や「オトゥール・デュ・モンド」などの話をよく聞かされていたこともあって、セレクトショップにも憧れていましたし。だからお金はないけれど、見よう見まねでやってみようと思ったんです。そうしたリサーチの一環として、かつて「シップス」でフレンチアイビーのブームを牽引していたバイヤーの、前淵俊介さんに取材させていただいたこともありました。



お店をじっくり眺めてみると、ライル&スコットやコーギーのカシミアニット、オービスのハンティングジャケットなど、意外にもトラッド・・・それもフレンチっぽいアイテムが充実していることに気付かされる。DCファッション好きならずとも、掘り出し物を発見できるはず!
フレンチアイビーにも興味があるんだ。それにしても、よくここまで世界観バッチリの物件が見つかりましたねえ。

市村 本当にたまたまでしたね。ここはもともと1980年代は化粧品屋だった場所なんですが、近年は古本屋だったんですよ。

小沢 ボクの憩いの場所だったんだよ(笑)。「VALUE BOOKS」という上田のカルチャーをつくっているお店のひとつなんだけど、本店はすぐ向かいにあって、ここは安い本を扱っている無人商店だったんだよね。

市村 ぼくも店長さんと知り合いだったんですが、「VALUE BOOKS」さんがこの物件を手放すことになって、ならぼくが入りますと。

といっても、大学生がお店を出すなんてお金がかかるし大変ですよね?

市村 本当はそうだと思うんですけど、大家さんがとても親切な方で、「敷金とか礼金とかわからん。お前が契約書を書け」って言われたので、ぼくがchatGTPを使って書いた契約書でお借りしました(笑)。なのでかかっているのは家賃と設備費だけなんです。

さすがに家賃の安い上田でもラッキーな話ですね! まさに運命の出会いだ。

この続きとなる後編は2月28日17時に公開されるパパスのウェブマガジンをご覧ください!

 

小沢宏

1964年生まれ、長野県上田市出身。大学在学中に雑誌「POPEYE」の編集アシスタントとして活動をスタート。その後スタイリストとして独立し、雑誌や広告のディレクションから、セレクトショップへの参画、自身のブランドのデザインや運営など、幅広い分野で活躍する。2022年5月に故郷である上田市にて”雑誌の3D化”をコンセプトにしたセレクトショップ「EDISTORIAL STORE」をオープン。〝LIVE STOCK〟というコンセプトを掲げ、新たな発信に取り組む。

⚫︎小沢宏 @ozawahiroshi
⚫︎EDISTORIAL STORE @edistorial_store

SNOB

住所/長野県上田市中央1-9-9
営業日/月曜アポイント制、木・金曜14:00~20:00、土・日曜12:00~19:00
※市村さんがひとりで営業しているお店なので臨時休業あり。Instagramで確認の上ご来店ください!

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