ぼくはスターじゃなくて
太陽でいたい!
井上順のお洒落な
生き方入門(後編)
撮影・文/山下英介
撮影協力/SWING
前編では若き井上順さんを育てた、「野獣会」や「ザ・スパイダース」をはじめとする素敵な大人たちの話をしてもらったけど、ある意味ではここからが本題。ファッションや人生哲学、そしてダジャレに至るまで、井上順さんの流儀をとことん語っていただいた。こんな大人がまわりにいてくれたら、もしくは自分がそうなれたら、それだけで人生は最高だ!
VANよりJUNな、
井上順のお洒落流儀
前編はこちら
当時の若者カルチャーの中心といえば、ファッションブランドのVANとアイビーだったと思いますが、井上さんはそれほど影響されなかったですか?
井上 そうですね。順だけにJUNでした(笑)。
初ダジャレ、ありがとうございます(笑)。アメリカ派のVANと双璧を築いていた、ヨーロッパ派のJUNということですね。確かに「ザ・スパイダース」はブリティッシュビートの先駆けですから、納得です!
井上 バンドのユニフォームも、JUNにつくってもらいましたからね。ロペができる前だと思いますが、コマーシャルにも出させていただきましたよ。ぼくが浜辺を歩いていて、後ろを見た瞬間に「振り向いたJUNが憎い」ってコピーが出てくるの(笑)。
それ、見たいなあ(笑)。そういえば昔インタビューしたムッシュさんは、「すでにぼくたちは海外の本物のファッションに触れていたから、VANにハマることはなかった」と仰っていました。
井上 いや、かまやつさんくらいになればいいけど、ぼくがそんな大したこと言えませんよ。なにしろぼくがファッションに求めるのは、清潔感です。こんなこと言ったら失礼かもしれないけど、破れたジーパンとかは好きじゃないの。破れそうなところで止めてもらいたいなって(笑)。
ダメージはNGなんですね(笑)。実は1970年代のファッション誌を見ていたら、井上さんがトラッド派に対するヨーロッパ派の代表として登場していました(笑)。なんと、当時タキシードだけで50着もお持ちだったとか!
井上 確かにいっぱいありましたね。もうしまいきれないから、だいぶ断捨離しちゃいましたが。どこかボランティアでもらってくれるところがあればいいんですけどね。
多分若い子が飛びつきそうですが(笑)。実は私は、井上さんが日本の芸能界で最もタキシードが似合う人だと思っているんです!
井上 いやいや山下さん、褒めてくれても何も出ませんよ。よかったらコーヒー召し上がってください(笑)。ぼくは役者の仕事でよく経験するんですが、着るものによって人間って変わるんですよね。警察官の制服を着たら、顔が自然とそうなってくる。〝馬子にも衣装〟じゃないけど、そういう意味では着る機会が多かったものですから。
井上さんが密かに解決した
フランク・シナトラ事件
やっぱりタキシードが似合うエンターテイナーといえばフランク・シナトラですが、井上さんもそういう方々のショーをたくさんご覧になったんですか?
井上 ああ、シナトラ。ぼくも大好きな歌手なんですよ。あれほどいい声で、キレのいい歌手はなかなかいませんよね!? ディーン・マーティンの「ウォォォウ・・・」みたいな(笑)粋な雰囲気も、胸にグサッとくるトニー・ベネットも素晴らしいと思いますが、やっぱりぼくが朝起きてかけるレコードは、フランク・シナトラでした。50代に入ってから難聴になったのがちょっと悲しいんですが、よく聞こえるときは、いつもシナトラの声を聞きながらコーヒー飲んで新聞読んで、さあ行くか!なんていい気分で出かけていましたね。そうそう、ぼく4、5回くらい本人に会ってるんですよ。
なんと! あの伝説的エンターテイナーに!
井上 ぼくが司会をしていたTBSの「東京音楽祭」や、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」なんかでね。ラスベガスでもお会いしましたし、東京で一緒に飲んだこともありますよ。
どんな方だったんですか?
井上 もう、外国のボス的なすごい迫力です。一緒にいてもからだだけ後ろに引っ張られているような感覚になりました。でも女性は逆で、惹き付けられてるの(笑)。それくらい魅力的な人でしたよ。まあ、ぼくはそこまでフランクには話せなくて、「ハイ、ヤングボーイ!」みたいな感じだったですけど。
井上さんをヤングボーイ扱い(笑)。
井上 最後に会ったのは帝国ホテルで催されたディナーショーと「夜のヒットスタジオ」に出演するというタイミングでした。そしたら放送前(※同番組は生放送だった)にマネージャーのダンから連絡があって、「ジュン、困ったことになった」と。どうしたのって聞いたら、「またあいつのワガママが出て、もうテレビなんて出ねえって言ってるんだよ。契約してるっていってもあのフランクのことだからわかんないよ」なんて言われたもんだから、焦っちゃってね。
あそこまでいくと日本のテレビ局との契約なんて関係ないんですね(笑)。
井上 すぐに花屋さんで、奥さんのバーバラさんが喜びそうな大きな花束をつくってもらい、帝国ホテルに届けました。それと同時に原宿にあったオリエンタルバザールに行って、蛤の貝に源氏物語か何かの絵が描いてある、貝合わせのセットも買ったんです。すごく高かったけど、店員さんに聞いたら「絶対に喜ぶと思います」って言うから。そりゃ売る方だから言うよね(笑)。それを持ってぼくも帝国ホテルに行ったら、もうバーバラさんは「ああジュン、素晴らしいわ」って大喜び。それで一緒にシナトラが音合わせしてるスタジオに行くと、また「ハイ、ヤングボーイ」って。バーバラさんが「これ、ジュンのお土産なのよ」って言っても「ウン」って言うだけなのよ(笑)。最後に「スタジオで待ってるからね」って声をかけたら「ウン」って聞こえたから、これがオッケーってことなんだろうなって解釈しましたけど。「夜ヒット」のプロデューサーは、その事態を後から知って、ぼくの苦労も知らずに慌てて相談してきたから、「もう行ってきましたよ」って。
プロデューサーより先にトラブルを解決してしまったと(笑)。で、結局シナトラは出演したんですか?
井上 無事出てくれました。フジテレビの社長が玄関で迎えて、そこにはネオンサインで「Welcome to Frank Sinatra」って光ってるんです。もちろん赤い絨毯が敷かれてね。フランクは意気揚々と登場して、芳村真理さんが「あそこにいる綺麗な女性は誰かしら?」って聞いたら、「マイワイフ、バーバラ」なんてニコニコしてましたよ。それで4人でおしゃべりして、『ニューヨーク、ニューヨーク』を一曲歌って気分よく帰ったっていう(笑)。
音楽史に残る歴史的証言、いただきました(笑)!
井上 あれ、すごい契約で一切の二次使用ができないんですよ。だから絶対に再放送もできません。ぼくは自宅で録画してたから、宝物にしてますけど(笑)。まあ、花代も貝のセット代も後から請求はできなかったけど(笑)、あのときのバーバラさんの嬉しそうな顔は本物だった。それがフランクにも伝わったんじゃないかなあ。いい思い出ですよ。
お金とかじゃなくて、井上さんの真心が伝わったんですね。そういえば井上さんはディーン・マーティンによく似ていらっしゃるから、ちょっと親近感が湧いたのかも(笑)?
井上 山下さん、何をおっしゃいますか! コーヒーもう一杯飲みますか(笑)?
井上順の話芸は
こうして生まれた
実は私が初めて井上さんを見たのは、2017年にお亡くなりになった、ムッシュかまやつさんのお別れ会だったんです。井上さんと堺正章さんが司会を務められたんですが、ちょっと衝撃を受けました。
井上 どんなところに?
ともすればしんみりしがちな約1000人の来場者を、ふたりの掛け合いだけでドッカンドッカン沸かせて、ひとつのエンターテインメントというかステージにしちゃってたんです! エンターテイナーの凄みのようなものを感じました。
井上 おちゃらけるわけじゃないけど、お別れ会って、そういう柔らかい空気を入れないと、故人を送れないと思うんですよ。せっかく来てくださった皆さんに、重たい気持ちで帰ってもらいたくない。「ムッシュ、ありがとう」っていう清々しい気持ちでお別れしてほしいなって思ったんです。話術では日本一の堺さんのおかげで、とてもいい会ができましたよね。
ああいう空気感をつくれるって、本当にすごいと思います。あのふたりのバイブスはリハーサルとかをしなくても、出会った瞬間に発生するものなんですか?
井上 ああなるまでにはね、時間がかかりましたよ。というのも「ザ・スパイダース」はね、最初は堺さんがひとりで喋ってたんですよ。でも同じことを喋ると、リーダーの田邊昭知さんが怒るんです。後ろからバスドラムでドンドンドンドンやるのが、〝面白くない〟というサイン(笑)。それで堺さんも困っちゃって、あるときぼくに振ったんですよ。これにぼくがポポポンポンと返したら、それがうまくハマってホッとしたんでしょうね。それから堺さんがぼくを笑いの世界に引きずりこんだの。
なるほど、堺さんが今の井上さんのキャラクターの生みの親なんですね!
井上 最初は田邊さんは怒って「順は客寄せパンダでいいんだから、余計なことするな」って言ったんですけど、それでもめげずに堺さんはぼくに話を振ってくる。ぼくは間に挟まれてすごく困ったんですが、振られたら倍やり返さなきゃ、という感じで続けていたら、いつの間にかこうなっちゃった(笑)。今ではリハーサルしなくても、楽屋で最近のことをちょっとインプットすればOKです。
芸能史に残る名コンビ誕生の背景には、そんなストーリーが(笑)。井上さんは、最初は二枚目路線で売っていく予定だったらしいですね。
井上 本当はそうしたかったらしいんですよ。確かに「ザ・スパイダース」は右向けばかまやつさん、左向けば堺さん。これはちょっと物足りないものがあるかもしれない(笑)。だから最初、順は立ってりゃいいからって言われて、こんな楽な仕事はないと思ったんですから。そんなわけで、楽しい楽しいスパイダース時代でした(笑)。
ぼくはスターじゃない!
芸能界最強コンビの謎が解けました(笑)。しかしオファーしておいてなんですが、この世界の大御所である井上さんにこのメディアに出て頂けるとは思いませんでした。
井上 ぼくの主義として、お声をかけてくださったオファーをむげに断るのがイヤなんです。大きい会社だろうと小さい会社だろうと、井上順という存在を頭に思い浮かべてくださったわけですよね。それならぼくにできることがあれば、ぜひお役に立ちたいというスタンスなんです。歌にしてもお芝居にしても、自分では上手いなんて思ったことはないですよ。でもせめてぼくなりの色とか味を出すために、一生懸命やる。できる限り準備と練習をして臨んで、演出家の方からOKが出たら、「ああ、なんとか収まったかな」とほっとする・・・。そんな反省と諦めの毎日ですから、「どうだ!」なんて思ったことは一度もないですよ。
すごいなあ。今でもタップの練習をされたり、努力されておられますよね。
井上 これでタップできますなんて言ったら本職の方に失礼ですよ。でも、昔のキレはなくても、自分なりの味が出せればいいかなとは思っています。なんというか、空気という感じでやらせてもらっているのかな。
トークもそうですが、井上さんの演技やパフォーマンスには、単純な技術論では測れない空気感や〝間〟があると思うんですよ。
井上 山下さん、そんなことないよ。これは長いことやってきたオマケみたいなもので、落語でいう〝オチ〟がついてるみたいな感じでしょう。
あれ、落語もお好きなんですか?
井上 よく聞いてましたね。ぼくが子供の頃、四代目柳亭痴楽(りゅうていちらく)さんが「痴楽綴り方狂室(ちらくつづりかたきょうしつ)」っていうネタをやってたんですよ。山手線の駅の名前をどんどんダジャレでつなげていくような内容だったんですが、あれをラジオで聞いていつも笑っていました。ぼくがダジャレに踏み込む入り口は、柳亭痴楽さんでしたね。
ダジャレに〝踏み込む〟(笑)。
井上 「なんでダジャレなんてやるんですか?」ってたまに聞かれるんですけど、その場の空気が一瞬でも変わればいいかなって思いがあるんです。
多才ですねえ。そういえば井上さん、絵もお上手ですよね!
井上 いや、全然センスないんですよ。でも友人からもらったフィンガーペイントのセットを、たまたまコロナ禍のときにやってみたら、ぼくでもできたんです。それが楽しくなって、井上画伯が誕生しちゃいました(笑)。Twitterにアップしていたらほしいという方がたくさんおられたので、事務所を通してもう30枚以上プレゼントしています。ピカソもビックリ!ってこともないけど(笑)、雰囲気はあると思うので、これからは絵を通して福祉の皆さんにご協力したいなと思っているんですよ。
それは素晴らしい。井上さん、格好いいです!
井上 そんなことないですよ(笑)。ただ誰かのお役に立てればいいというだけで。ぼくが好きな言葉のひとつは、「心を尽くして、力を尽くして」。今日この場所に来るときにも、「山下さんがどんな人なのかな?」とか「こういう出会いがあったらいいな」とか色々思いながら出かけていくわけですから。あとは「一歩進もう」。フィンガーペイントでもTwitterでも、昨年出版した『グッモー!』(PARCO出版)という本にしても、一歩足を踏み出すことによって、広がっていったわけです。どんな力持ちでも、家で寝ているだけじゃ何も動かないでしょう? だからまずは進んでいくという気持ちを大切にしたいですよね。
なんだか我が身のことばかり考えてしまう自分のことが、恥ずかしくなってきました・・・。
井上 山下さん、だってそろそろぼくは、人に生かされてきたご恩を、お返しする時期に入っているんですよ。だからこそ、仕事を断ったり、休んだりしたくない。自分にできる範囲で、お役に立ちたいんです。ぼくに残ってるものって、もう感謝しかないんだからさ。
いや、今日お会いしているだけでも、ずっと年下の私が元気をもらっちゃいましたよ!
井上 それは嬉しいね。ぼく、毎朝目を覚ましたら「おっ、今日も命を頂いたな」って感謝するんですよ。そしてカーテンを開けると太陽が出ている。それだけで最高だよね。この頂いた1日をいかに楽しく過ごすかというのが、ぼくのテーマなんですよ。そしてできることなら長生きしたいから、日用品をたっぷり買いだめしておこうかなと。
どういう意味ですか?
井上 上のほうで見ている神様が、そろそろ迎えに行こうかなと思ったときに「あの野郎、また色々買っちゃって」って、しばらく待ってもらえるかもしれないじゃないですか(笑)。
最高です(笑)。いやあ、井上さんのようなハッピーなスターに初めてお会いしました!
井上 ぼくはスターじゃないよ。太陽のほうがいいじゃない。明るくて、誰にも分け隔てなく暖かさと明るさをあげられるんだから。でも、本当にそうなれたら嬉しいね。
- グッモー!
2021年に出版された井上順さんの人生初エッセー集『グッモー!』。生い立ちから現在、そして井上さんが愛するホームタウン、渋谷のおすすめスポットまでが、楽しく綴られている。ぜひ読んでいただきたい! ¥1,980(PARCO出版)
1947年渋谷生まれ。1963年、16歳で「ザ・スパイダース」に加入。グループサウンズ(GS)ブームの立役者として活躍する。1970年の解散後はマルチに活躍。歌手としては『お世話になりました』『なんとなくなんとなく』、司会としては『夜のヒットスタジオ』、俳優としては三谷幸喜さんや石井ふく子さんの作品に多数出演するなど、60年にわたって芸能界の第一線で活躍する。話題のTwitterアカウントは@juninoue20。