狭山にあったアメリカ
「ハイドパーク」で、
松山猛さんが
『イムジン河』を歌った!
撮影/山下英介
松山猛さんが、作詞家だった1960~70年代の昔にタイムスリップして『イムジン河』を唄う。そんな素敵な音楽フェスが、埼玉県狭山市の稲荷山公園、通称「ハイド・パーク」で開催された。今日はその模様をレポートしたいと思います!
松山猛さんと
「ザ・フォーク・クルセダーズ」
今では〝時計のおじさん〟として知られる松山猛さんだけど、1960年代〜70年代初頭にかけては、作詞家としてのほうが有名だったかもしれない。そのキャリアのスタートとなったのが、1965年に京都で結成された「ザ・フォーク・クルセダーズ」(フォークル)であり、松山さんはその影のメンバーとして、たくさんの歌詞を提供していたんだ。ちなみにこのグループが結成されたきっかけは、雑誌『MEN’S CLUB』の読者投稿欄だったらしい。
この「フォークル」のなかでも、飛び抜けた才能を持っていたのが加藤和彦さんだった。解散後は「サディスティック・ミカ・バンド」を結成したり、ソロミュージシャンとしてとてつもなくスノッブなアルバムをたくさんつくったり、スーパー歌舞伎の音楽を手がけたり、その天才ぶりは日本中のミュージシャンに認められていた。彼はまた凄まじいばかりの洒落者ぶりでも有名だったけど、その話はまた別の機会にとっておこう。加藤さんは2009年に自死を選ぶまで、日本の音楽シーンの先頭を走り続けたのだった。
狭山の「ハイド・パーク」で
よみがえる加藤和彦の名曲
そして2023年4月29日〜30日、埼玉県狭山市で開催される野外フェス『ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル』を舞台に、豪華メンバーによる「加藤和彦トリビュートバンド」が結成されるというニュースが入ってきた。しかもそのバンドには松山猛さんも参加、自身が作詞を手がけた曲を歌うという。これは観に行くしかないじゃないか!
今ではそれほど知られていないけれど、1970年代初頭まで、埼玉県狭山市は米軍基地の町だった。そして、そこにつくられた米軍ハウスにはいっとき細野晴臣さんや小坂忠さんに代表されるミュージシャンやクリエイターが住まい、一種のコミューンをつくっていたという。あの名作『HOSONO HOUSE』だって、この土地でつくられた名盤だ。
そんなムーブメントの中心人物であり、今もなお狭山の米軍ハウスに住み続ける麻田浩さんが、あの当時のムーブメントを再評価するとともに、そこから生まれた音楽を次世代に繋いでいこうという目的のもとに2005年に発足させたのが『ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル』であった。会場となる稲荷山公園は、かつて米軍関係者たちから「ハイドパーク」と呼ばれていたらしい。70年代の狭山に集ったミュージシャンたちの伝説はまた改めて公開するので、楽しみに待っていてほしい!
「加藤和彦トリビュートバンド」に加え、「サニーデイ・サービス」、「在日ファンク」、「EGO-WRAPPIN」、田島貴男、「ムーンライダーズ」といった超豪華メンバーがラインナップされた、晴天の4月29日。十代の若者から松山さんと同世代のおじさんまで、幅広い層のお客さんたちが、リラックスして音楽を楽しんでいる。これは最高の空間だ!
あまりの格好よさに、思わず若いミュージシャンを撮らせてもらったが、彼の格好はベルボトム&ミリタリーシャツにティアドロップ。まるで70年代のヒッピーじゃん!
世代を超えてつながる
ミュージシャンと観客
「スカート」の澤部渡さんや、高野寛さんといった実力派ミュージシャンが奏でる音は大迫力! きっと加藤さんも喜ぶはず。
松山さんがこの日かぶっていたパナマハットは、加藤和彦さんが所有していた「ボルサリーノ」。
松山さんの取り計らいによって、特別にバックステージでの取材が許された「ぼくのおじさん」。高野寛さん、「スカート」の澤部渡さん、CHIHANAさんといった実力派ミュージシャンたちがバックを固め、「フォークル」のきたやまおさむさんの司会のもと多彩なゲストたちを迎える「加藤和彦トリビュートバンド」は、ものすごく格好いいし、お客さんにも大ウケだ。そういえば奥でアコギを弾いているのは、さっきの70’S青年じゃないか! 実は彼は、「たけとんぼ」というフォークデュオでギター&ボーカルを担当する平松稜大(りょうた)さん。そのスタイルが物語っているように、70年代にタイムスリップしたかのような彼の曲とボーカルは、一聴の価値ありだ。生前の加藤さんを知る人たちからは、「声が似ている」と評判だった。
さて、そんな素敵な演奏が続くなか、出番を待っている松山さんは、まったく緊張する様子もなく、大物たちと談笑している。「フォークル」の盟友であると同時に精神科医としての顔をもつ、きたやまおさむさん。加藤和彦さんとの縁も深く、松山さんとはライカ仲間である「THE ALFEE」の坂崎幸之助さん。「はっぴいえんど」の大ファンとしても有名な個性派俳優の佐野史郎さん・・・。ひとつの時代を築いてきた方々と居並ぶ姿を見ると、やはり松山さんは戦後カルチャーにおける歴史的人物なのだな、と実感させられる。
きたやまさんとの漫才師なみの掛け合いで、大ウケをさらった坂崎さんのステージが終わったら、ついにトリとなる松山さんの出番だ。歌うのは、もちろん永遠の名曲『イムジン河』。国境に分断された人々の望郷の念を歌ったこの作品は、北朝鮮で生まれ、忘れ去られていた曲に、当時中学生だった松山さんが歌詞をつけて再生したもの。そして、1968年のリリース前日に発売中止になったという〝伝説〟をもつ曲でもある。松山さんの詩によって、この曲は時代を超えて歌い継がれる作品となったが、あれから50年経っても、朝鮮半島は分断されたまま。そして戦争は終わらない。『イムジン河』の悲しみは、今もなお続いているのだ。
「加藤和彦トリビュートバンド」の演奏後も、素晴らしいミュージシャンたちによるステージは夜まで続いた。おじさんたちが平松さんのような若いミュージシャンの存在を知ったり、10代のシティボーイたちが、「サニーデイ・サービス」や田島貴男といったおじさんミュージシャンの尖りまくったステージにノリまくってたり、世代を超えた音楽の交流が行われたこのフェスは、極めて「ぼくのおじさん」的イベントだったといえるだろう。そういえば、「ムーンライダーズ」の音にシビれていたテンガロンハット姿のお洒落な青年は、今後のブレイクが期待される19歳の天才ミュージシャン、関口スグヤさんだった。やっぱ、格好いいものは世代なんて関係なく格好いいんだよね! ・・・あれ、気がついたらいつの間にか松山猛さんはいなくなったぞ!? もう帰っちゃったのかな?
今日は、ザ・フォーク・クルセダーズ」と、中学生時代につくり、ぼくの人生とともにある曲『イムジン河』を、みんなが聞いてくれて、とてもうれしかった。あれは意味深いバックグラウンドのある曲だからね。実はステージが終わった後、きたやまとふたりで飲みに行ったんだ。せっかくいいバンドもできたし、これからも一緒に何かやろうよって、ね。
ぼくたちが今最も気になる70年代の匂いを体感させてくれた野外フェス『ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル』。ここから生まれたムーブメントも、「ぼくのおじさん」が今後追いかけていくべき対象になったのだ。
- 狭山HYDE PARK STORY 1971〜2023
1970年代のファッション&ミュージックカルチャーに興味のある人は必見! かつて狭山市から入間市にまたがって存在した〝アメリカ村〟の風景と、そこに集まったクリエイターたちの暮らしをまとめたフォトブック。「はっぴいえんど」のメンバーや小坂忠さんといったミュージシャンの貴重な写真はもちろん、当時のアメリカ村エリアのスナップ写真がたくさん収録されている、歴史的資料だ。編集はPOPEYEの創刊メンバーである粕谷誠一郎さん、装丁デザインは当時アメリカ村に暮らしていたデザイナーの眞鍋立彦さん。¥2,200(トゥーバージンズ)