2024.6.29.Sat
今日のおじさん語録
「雑草という植物はない。/昭和天皇」
味のマエストロ
連載/味のマエストロ

皆さん、人を大切に。
「共栄堂」のカレーに
どうしてぼくたちは
並んでしまうのか?

撮影・文/山下英介

〝カレーと古本の街〟と言われる神保町は「ぼくのおじさん」の編集人にとって、何かと縁深い場所。この街で働いたり本を買ったりする人なら、誰でもお気に入りのカレー屋さんがあるものだが、編集人にとってそれはダントツで「共栄堂」のスマトラカレー! 行列もあるし安いわけでもないし、他にも美味しいものはたくさんあるのに、なぜだかお腹が空くとここのカレーが食べたくなってしまうのだ。その理由はなんだろう? 長年考えても結局わからないから、いっそのこと直接店主に聞いてみよう!

「共栄堂」の仕込みは
朝4時から始まる

編集人が取材に伺った朝8時は、すでに絶賛仕込み中!
今日はお忙しいところ取材を受けていただき、ありがとうございます! ・・・それにしてもオープンは11時からなのに、朝早いですね。久しぶりに早起きしちゃいました。

宮川泰久(たいきゅう) 朝4時から仕込みをやってますから。

な、なんと! カレーはすぐに出てくるけど、仕込みの時間は長いんですね!

宮川 だいたい飲食店ってのは7〜8割は仕込みですよ。営業が始まって忙しい時間が終わると賄い食べて、それからまた仕込み。もうどこでも同じでしょ、それは。

1924年・・・てことは今からちょうど100年前に創業した「共栄堂」で、現在店主を務めるのは宮川泰久(たいきゅう)さん。1951年に横浜で生まれ、若い頃は剣道に打ち込んできたという、パワフルなお方だ。
ぼくは長いこと「共栄堂」さんのスマトラカレーを頂いているんですが、なんでこんなに美味しいのかずっと疑問でして、今日はその秘密を調べに来ました(笑)。

宮川 いや、ありがとうございます。でもウチのカレーはダメな人はダメ。こればっかりはしょうがないよね。

確かに個性的なカレーですもんね。でもぼくにとってはナンバーワンです! もともと宮川さんは「共栄堂」の創業者一族の方なんですか?

宮川 私は3代目にあたりますが、娘婿なんです。私がここに入った1986年、当時の「共栄堂」はダメになっていたんですよ。閉めるか閉めないか、という話をしていて。私も長年飲食やってたから、そろそろ吉祥寺あたりで独立して美味しい洋食屋さんでもやろうかなと思っていたんだけど、カミさんに頼まれて手伝い始めてね。それから自分の若い衆を引き連れて、全部やり直して今に至るというわけです。個人的にはカレーか、なんて思ったりもしたけど、老舗の味を盗んでみたかったという動機はあったね。

それは知りませんでした!

宮川 先代から聞いた話だと、初代はお茶の水でやっていたらしいですよ。その後ここに移転して、ランチョンさんとウチとおもちゃ屋さんと3軒並んで営業していたんですが、あるとき火事になっちゃった。それからこのビルを建てて、ランチョンさんと同じ建物で営業することになったんです。

もともとの歴史から紐解くと、創業は大正13年なんですよね?

宮川 そうですね。初代が商工会議所か何かで知り合った伊藤友治郎さんという方に、スマトラカレーのレシピを教わって開業したんです。当時はいわゆる洋食屋さんで、たくさんの若い衆を使ってケーキ工房なんかも持っていたらしいですよ。それから2代目の女将に引き継いで、今は私。

明治の末期〜大正時代にかけて東南アジアを広く見聞した伊藤友治郎さんが、インドネシアのスマトラ島で学んだカレーのレシピを、初代に伝えたのが「共栄堂」のルーツ。伊藤さんは「カフェー南國」というカレーと洋食の店を経営していたが、関東大震災で瓦解したという。
もとから「共栄堂」という店名だったんですか?

宮川 そうです。お客さまと手前ども、両方が栄えるようにって。ウィンウィンにしようということですよね。

そんな歴史のある名店が1980年代にダメになってしまったのは、どういう理由なんでしょうか?

宮川 まず人ですよね。二代目も働く人も老齢化して手がまわりきらなくなっていた。そして当時思っていたのは、あの頃のウチのカレーって、ちょっととんがりすぎていたかもしれない。だからそれをずいぶん変えました。

先代の頃から味を変えたんですか?

宮川 いや、レシピやコンセプトはウチの軸だから変えませんよ。でも、ウチには3代に渡って来られるお客さまも多いんだけど、皆さん変わらないようで、徐々に舌は肥えてきているんです。だから前と同じものをずっと出していたら、久しぶりに来たお客さまは「あんなもんだったかな」と思ってしまう。それはどんな老舗の飲食店でも同じです。だから「いや〜、10年ぶりに来たけど変わらず美味しかったよ」って言わせるためには、進化していないとダメなんですよ。ただ、それはお客さまにわからないようやらないとね。わかっちゃダメだ。

確かに別のインタビューでも、そういったことを仰っていましたね。

宮川 そういうふうに努力しないと、逆に失礼だと思う。そもそもウチのカレーって個性的でしょ? しかもカレー5品しかないんだから。だからそれをどうやってまろやかにするか、とか考えて試行錯誤しないと。昔のカレーを今の若い人が食べたら、絶対に食いつかないと思う。かといって奇抜なことをやって変わっちゃったら台無しだしね。だから変わるんじゃなくて、美味しさを追求するってこと。それだけだな。

具体的にいうと、スパイスの配合を変えているんですか?

宮川 それはない。一番の問題はブイヨンですね。あと肉の炒め方とか。海老だったら頭から味噌を取ってソースに入れて、身のほうはバターや白ワインでフランベするとか、タンだったらデミグラスソースを入れてみるとか、もう昔と全然違う。ただ、これ以上やっちゃうとカレー自体が昔と全く違うものになるから、しばらくはやめてます。

とことん野菜を煮込んだブイヨンをまるごとミキサーで潰して、炒めたお肉に投入! 上質な材料が惜しみなく使われていて、これだけでも美味しそうだ。
スパイスについては、やっぱり家庭ではできないようなものなんですか?

宮川 配合というより、ローストが難しいでしょうね。ウチのカレーが黒いのは、スパイスを鶏油やラードやヘットと一緒に1時間半〜2時間ほどローストしているからなんですが、そのときの火力がとても重要で、最初に強火でローストしちゃうと、一番に苦味がきちゃうんですよ。ウチのカレーって、野菜の甘み、辛みときて最後にほのかな苦味が残るところが重要で、その順番が変わるともう食べられない。だから調理人がそのときの湿度や季節に合わせて、フライパンにつきっきりでギリギリのせめぎ合いをやっています。それは家庭じゃ絶対できないですよ。ほかの材料は玉ねぎとかニンジンとか変わったものはなにもありませんが、すり潰せるくらいまで煮込んでいくから、まあ家庭じゃ無理だろうな。

それで朝4時から仕込みが始まるんですね。厨房には何人くらいいるんですか?

宮川 私と息子を含めて、料理できる人は7人。ホールで働く人を合わせると13人ですね。

1日でだいたい何杯くらい出るんですか?

宮川 そうだね・・・。お祭りと重なったりして多い時は7〜800杯くらい出ますかね。でも、それが続いちゃうといいモノは出せなくなっちゃう。だってお店を開けていない日曜祝日だって仕込まなくちゃいけなくなるんだから。とはいえコロナでお客さまが来なくなったときも大変だったし、商売は難しいよね。本当は牛の唾液みたいに延々とお客さまが途切れない店が、一番儲かるんですよ(笑)。

カレー屋だって
サービス業だ!

宮川さんはもともと東京の生まれなんですか?

宮川 いや、横浜です。最初に入ったお店にはニューグランドで長年働かれていたコックがいて、すごく厳しかったな。

昔のシェフの世界は厳しかったらしいですね。

宮川 そこはコックが30~40人くらいいて、休憩も休日もない職場で、本当に厳しかった。鍋で叩かれたり、お湯かけられたりは当たり前。オーブンから出した熱々のフライパンを洗い場にバーッと投げ出されると、油が跳ねてものすごく熱いんだ・・・。でもいろんなことを教えてくれたから、今でも感謝していますよ。ずっと仕事を見てると怒られるから、お皿に残ったソースをなめたりして、見よう見真似で覚えてきたね。

さすがに今はそういう教え方はしてないですよね(笑)?

宮川 いや、命令なんてとんでもないですよ。私も若い時はコラッなんてやってきたけど、反省しきりです。でも、もちろん違うことは違うとちゃんと言う。だって、ひとりの失敗で一緒に働いている人が生活できなくなっちゃうんだから。一番ダメなのは仕事をやっつけちゃうこと、流しちゃうことだよね。それだけはダメ。あとは厨房はつねにきれいにしとけってことはよく言うかな。とにかく拭くし、暇があったら掃除。汚いところから料理が出てきたらイヤじゃない。特に今はSNSにあげられたりするし、怖いよね。まあ全然見ないけど。

創業100年を超える老舗ではあるが、その厨房はどこもピカピカに磨き上げられていて、実に気持ちがいい。
編集人が大好きなのが、着席後速攻で出てくる熱々のスープ。実はこちらは、野菜と小麦を何度もオーブンにかけてつくったルーに、コーンや生クリームを合わせたポタージュ。添え物とは言えないくらい手間がかかっているのだ。
宮川さんが継がれたとき、「共栄堂」はすでに有名なお店だったんですか?

宮川 いや、そうでもなかったね。そもそもあの頃、神保町自体にカレー屋さんは数軒しかなかったし。しかもどんどん変わっていく世の中では、働いている人も商品もちょっと古くなっていた。ウチのカレーなんて真っ黒だし、お洒落じゃないしね(笑)。ぼくね、この仕事って飲食業じゃなくてサービス業だと思っているんですよ。

サービス業ですか?

宮川 結局、サービスにおける根底の精神を飲食に生かしているだけなんです。料理も接客も同じで、そっちのほうが気持ちいいよ、って。

たった10分の滞在時間でも、そういう気持ちが大切なんですね。

宮川 だからありがたいことに、回転ができるんだと思う。ウチみたいなお店が回転なかったら、とっくのとうに朽ち果ててますよ(笑)。

厨房を拝見してわかりましたが、どう考えても原価はすごそうですもんね。

宮川 原価はすごいですよ。1000円以下のメニューは常に置いておきたくて、長年歯を食いしばってきたけど、さすがに最近価格は上げさせてもらいました。このままじゃみんなにボーナスを払えなくなるって。でも上げた瞬間にまた牛肉の値段が上がっちゃった(笑)。周りのみんなには、行列ができていいねって言われるけど、実際のところはかなり際どいですよ。

行列はあまり嬉しくないですか?

宮川 とてもありがたいけれど、待っている方は苛立つだろうし、こんなの並んで食うほどのもんかね、なんて思われたらイヤだしね(笑)。

いや、並んで食べるほどのものですよ! オンリーワンですから。

宮川 いや、そればっかりは私にはわからない。ただ、オンリーワンであるからこそ、それを粗末にしては絶対にダメだと言っています。何かあったらもう終わりだから。

「共栄堂」は、スタッフさんもテキパキして気持ちいいですよね。

宮川 そうですね。長年働いている60歳くらいの女性がいるんですが、彼女は若い頃に離婚して、ひとりで2人の娘さんを育ててさ。彼女と初めて会ったとき、人は巡り合いだと思ったね。大袈裟にいうと織田信長と豊臣秀吉の出会いだって運命的な巡り合いでしょ(笑)? 人生には大なり小なり重要な巡り合いがあるから、それを大切にしなくちゃなって、心から思いますよ。

年季が入っているけれど、清潔に磨き上げられた店内。行列はあるけれど、回転がとても早いから長時間並ぶことはあまりない。
学生バイトさんとかはいるんですか?

宮川 いない。アルバイトはひとりだけで、あとは全員正社員です。

うわ、それはすごいですね!

宮川 だって、こんなちっちゃなお店で、スタッフがコロコロ替わったり、今日も明日も違う人が出てきたら、常連のお客さまが面白くないでしょ? 「いつものやつですね?」みたいなことができるのもサービスだと思うから。結局一番は人だろうな。お客さまも勝たなきゃいけないし、我々も勝たなきゃいけないし。

最近よく言われているカスハラなんてのもありますか?

宮川 たまにありますね。うちは厳しいですよ。出ていってもらって、塩撒きます。

「共栄堂」でもそういうことがあるんですね!

宮川 きっと皆さん、精神的に疲れているんだろうな。それがどこかでカッと出てしまう。

自分が食べるものは
自分で決めろ!

スマトラカレーの秘密はこのスパイスにあり! 20数種類ものスパイスを配合し、様々な油とともにローストすることで、こんな真っ黒なペーストに。その中身はもちろん秘密だ!
先ほどつくったカレーのベースに秘伝の真っ黒スパイスを投入して攪拌するうちに、ぼくたちの大好きなスマトラカレーが出来上がっていく。厨房にはものすごくいい匂いが漂っていて、もうたまらない!
ポーク、ビーフ、チキン、エビ、タンという5種類のカレーに加え、辛いのが苦手な人向けのハヤシライス、冬季限定の焼きリンゴが「共栄堂」の全メニュー。実をいうと編集人はビーフカレーしか食べたことがない!
この時代に個人経営のお店がやっていくのって、やっぱり大変ですか?

宮川 いやあ、商売は大変だよね。だからみんなチェーン化して同じ味になっちゃう。それはそれで安心して食べられるからいいんだけど、ハズレがあったり当たりがあったりするからこそ、自分が何かをチョイスする感性が研ぎ澄まされるわけでしょう? 最近はスマホを見て他人の意見で選ぶ人も多いけど、そんなのやめろよって(笑)。自分で決めるからこそ、失敗したって納得いくんだからね。

きっと「共栄堂」にもチェーン化の話とか、ありますよね?

宮川 いろんな会社から出してくれって話はありますよ。でもウチなんて零細企業じゃないですか。目の前のお客さまに手を抜いちゃったらもう何もないのと一緒ですよ。だから断ってますね。私の時代は、この店をどうやって守っていくかで精一杯ですよ(笑)。

ちょっと揺らいだりすることもなかったですか?

宮川 いや、思ったことはないなあ。ウチはオンリーワンでいいかと思って。当然商売をやっている以上大きくしないといけない局面もあるんですが、中途半端に波に乗ってやるのはイヤだな。大きな企業さんの出資で手を広げてダメになった同業者も、たくさん見ているし。今、そういったチェーン店が人材難とか言ってるけど、そりゃ「利」ばかりを追ってるからですよ。

「利」ですか。

宮川 企業として当然「利」は追わなくちゃいけませんが、それは働くみんなの生活のためにやるべきなんですよ。どんなに苦しくても、世の中の状況を見ながら、スタッフの給料を上げていく。それができなきゃやってる意味はないから。私なんてもう年だから給料を取る必要なんてないけど、それをやり続けてスタッフみんなの意思が高まったら、本当にいいモノができますよ。

会社ってそういうもんなんですね。

宮川 そりゃあできます。だって人間同士なんだから。ひとりでは絶対にできないし。一番はそこだろうな。人。人柄だよ。

本当にそう思います! ・・・おっ、すごくいい匂いが漂ってきた。

宮川 あ、そろそろできるから撮影が終わったら食べてって。11時からお客さまが来ちゃうから、早めに終わらせてね(笑)。

こちらが、編集人が決まってオーダーするビーフカレー税込1600円也。どっさり入ったビーフや野菜の贅沢な甘みと香り、後から押し寄せるほのかな苦味が最高な、大人のカレーだ。このカレーにはこれ以外ないと断言できるほど、ご飯の炊き具合も完璧! 「共栄堂」では扱っていないけれど、食べ終わった後はなぜだかコーヒーが飲みたくなるのも、こちらのカレーの特徴だ。さて、今日はどこでお茶して帰ろうか? 
スマトラカレー共栄堂

住所/東京都千代田区神田神保町サンビルB1F
電話番号/03-3291-1475
営業時間/11:00〜20:00(19:45ラストオーダー)
定休日/日曜・祝日(不定休)

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