ギャンブルの前で
人間は平等だ。
芸人・鈴木もぐらの
恥的な人生講座
撮影・文/山下英介
SPECIAL THANKS/和田屋
「ぼくのおじさん」の定義とは、〝親や先生が教えてくれないことを教えてくれる人〟。だとしたらこの人はまだ30代だけど、立派な「ぼくのおじさん」なのかもしれない! 芸人・鈴木もぐら。決してマネはしたくないけどなぜだかちょっとだけ憧れてしまう彼の半生を、今日は根掘り葉掘り伺うことに! が、しかし・・・。
目が覚めたら
午後2時だった
鈴木もぐら 山下さん、今日は本当に申し訳ございません。今が夢なのか現実なのかもわからない感じなんですけど。
いや、全然大丈夫です(笑)。でも、さっきもぐらさんご本人から「今起きた」と遅刻の連絡をいただいたのでびっくりしました。マネージャーさんはこういう取材には来られないんですか?
もぐら うちはマネージャーがひとりで何組もみてますから、8人兄弟みたいな感じなんですよ。だからこういうのはひとりでやれっていうのが我が家の教えなんですけど、今日はまんまと裏切ってしまいました。すみませぇん!
のっけから期待を裏切らない感じで最高です!
もぐら いや、本当に私なんて罪しかないですよ・・・。あ、ありがとうございます。
あ、さすがに取材の日はウーロン茶なんですね。
もぐら いや、今は寝起きっていうことで。やっぱホッピー、白ですかね。
ホッピー派なんですか?
もぐら 夏はホッピーのほうがスッキリしますから。夏はホッピー、冬はビールって感じですかね。・・・すみません、ちょっと煙に巻かせていただきます。
どうぞどうぞ吸ってください(笑)。私たちは「ぼくのおじさん」というメディアなんですが、もぐらさんを見ていて「こういうおじさんが近くにいたら楽しいだろうな」なんて思って、会いに来ちゃいました!
もぐら 親戚のおじさんってことですか?
親とか兄弟だったら困るような気がしますから(笑)。
もぐら それはもう光栄でございます!
初めての記憶は
パチンコ屋だった
では早速インタビューに入らせていただきますが、ずいぶん複雑な家庭環境でお育ちになったとか。
もぐら ああ、自分としては普通だと思っていたんですけど、芸人になってから周りに聞いたら、あんまりそういう人はいなかったというか。普通か普通じゃないかでいったら、普通じゃなかったっぽいですね。
お名前も何度か変わっているとか。
もぐら そうです。私、生まれた時点から7歳までは「白鳥翔太」でした。
華麗!
もぐら 親が離婚して、転校してから鈴木です。自分としては「佐藤」くらいの感覚だったんですが、東京に来てから「元白鳥」なんて言うと「これで白鳥かよ」みたいな感じになるんで驚きましたね。芸人って何が普通で何が普通じゃないか、みたいなことが大事になってくる仕事なので。そういう意味では、俺はめちゃくちゃズレていたんでしょうね。
そもそも初めての記憶はパチンコ屋さんだったとか?
もぐら 俺が生まれたのはもともと八日市場市(※)という町にあった団地なんですが、今考えると、たぶん家賃3000円くらいだったような気がするんですよね。いまだに親は家賃のことを教えてくれないんで、すげえ恥ずかしかったと思うんですけど。そんな団地で親父と母親と俺が3人で暮らしてまして、歩いて2、3分のところにあるパチンコ屋によく行ってたんです。そこで親父が俺をヒザの上に乗せてスロット打って、「7、7、7」のかけ声に合わせて俺が打ったら全部そろったという。それが人生で一番古い記憶です。
※かつて九十九里浜沿いにあった市で、現在は合併して匝瑳市(そうさし)になった。
昭和っぽい光景だな〜(笑)。ギャンブルが盛んなエリアだったんですか?
もぐら 東京と違って娯楽がないですからね。今はもう子供はパチンコ屋さんに入れないんですけど、当時は子供が拾った玉をお菓子に交換するみたいなことはあるあるでしたよね。それによってものを大切にすることと、働くことを教育されたという。
まさに英才教育ですね(笑)。ちょっと特殊な環境だな、みたいな疑問はなかったんですか?
もぐら まったく思わないですよ。だってみんな同じ団地で生まれて育ってますから。ただ、農家とか漁師でデカい家の友達もいるんで、遊びに行けばゲームもあるしオレンジジュースやケーキも「どうぞ」なんて出してくれる。俺はそれがめちゃくちゃ嬉しくて珍しい存在だと思っていたんですけど、実際は逆で、団地側のほうが稀だったみたいです。こっちは友達の家に遊びに行けば、友達の親父がおばちゃんをぶん殴ってるみたいな光景が当たり前でしたから。「ゼニっ子ねえって言ってんだろ酒買ってこいコノヤロー!」「なんだテメエやんのかコノヤロー」みたいなやり取りを背中越しに聞きながら格ゲーやったりするのが日常だったので。まあ普通じゃないっすよね(笑)。
将来の夢はアルタで
「いいですね!」
昭和40年代の話を聞いてるみたいです(笑)。鈴木さん、本当に1987年生まれですよね?
もぐら いちおう昭和62年生まれなんで。俺、メッシと同じ年ですよ。石原さとみさんは1個上です(笑)。さとみ姉さんっすわ。
当時、友達とはどんなことをして遊んでいたんですか?
もぐら 団地ってすごく人が多いので、中にはゲーム持ってるやつがいるんですよ。だからそいつの家に遊びに行ってました。その家は団地の庭に勝手にプレハブ建てて子供部屋にしてたんですけど、そこが溜まり場でしたね。完全に違法だったと思います。団地全体がひとつの家という感覚で、下は4歳、上は15歳みたいな集団でいつも遊んでいました。
そんな環境で、今もぐらさんがやっているお笑いとか、サブカルチャーに対する興味って、どこから影響を受けたんですか?
もぐら どうなんすかね。やっぱり娯楽がないっていうのが一番で。うちはそこまで東京から離れているわけじゃないけど田舎ではあったので、本当になにもなかったんですよ。新しい本やCDも、予約したら発売日の2週間後くらいになって届いたり。まあ、もちろんオリコントップ10とかに入るようなCDはありましたけどね。そんな環境だったので、雑誌を立ち読みなんかしてたら、すべてが聞いたことない言葉や景色なんです。当時は自分のことをキムタクだと思ってたんで、東京に行けば俺にだって『ロングバケーション』や『ラブジェネレーション』みたいな人生が待っているって信じていました。そんな憧れからだったのかな。
団地というと、「練マザファッカー」や「BAD HOP」みたいなカルチャーを思い浮かべますが、もぐらさんはそっちの方には行かなかったんですか?
もぐら もちろんヤンキーは多かったですけど、俺はバイクやクルマがあんまり好きじゃなかったんですよ。『頭文字D』とか読んでても、GT-RとかAEなんとかみたいな、数字と英語の羅列を覚えるのがものすごく苦手だったし。でも、『チャンプロード』は発売日に買えたので、よく読んでました。ゲホッ、ゲホッ。
あとは『池袋ウエストゲートパーク』はとんでもなく流行りましたよ。全然人がいないのに「俺たち赤ギャンだから」みたいなことやってるヤツもいたし。赤でも青でもいいけど、そもそも対抗するチームがねえだろうみたいな(笑)。ああ、でも「スペクター」はありましたね。
ああ、全国的に有名な暴走族チームが。
もぐら 当時は「旭スペクター」と「干潟スペクター」とか、有名な暴走族が3つくらいあったかな? 犬吠埼が近くにあったので、毎年大晦日から正月にかけては初日の出暴走ということで、国道を走り続ける。そんな光景も普通のことだと思ってたけど、今にして思えば暴走族の聖地みたいな場所だったんですよね。
そっちのほうがメインカルチャーだったんですかね?
もぐら でも俺はカネがなかったから、そっちには行けなかったんです。だってバイクとか短ラン、長ラン、ボンタンみたいなものを先輩から買わなくちゃいけなかったし、刺繍も入れたりすればまたカネがかかる。意外とカネ持ちじゃないと、ヤンキーにもなれないんですよ。だからヤンキーが金属バット持って暴れてるなら、俺はプラスチックのバット持って空き地で野球やってた感じです。
当時はこんなふうになりたい、みたいな夢はあったんですか?
もぐら とにかく東京に行きたかったですよ。全然違うんですもん。『いいとも』が始まる前に新宿アルタ前を数秒映してからスタジオに入る映像を見て、こんな華やかな世界があるんだ〜みたいな。
それで芸能人になりたくなった?
もぐら いや、全く。「そうですね!」って言ってる人たちの一員になりたかったです(笑)。とにかく東京に行きたかった。こんな何もないところ、早く出て行きてえって。
ギャンブルで稼いで
大阪芸大に!
でも高校を卒業した鈴木さんは、東京じゃなくて関西に行っちゃうんですよね? しかも大阪芸術大学。すごいじゃないですか!
もぐら 当時の大阪芸大では原一男先生が教授をされていたんで、教えてもらいたいなって思って。
原一男さんといったら『ゆきゆきて、神軍』の監督ですよね? もぐらさん、カルト級の映画マニアじゃないですか!
もぐら いや、それほどたくさん観てたわけじゃないですよ? 今みたいに配信でなんでも観られる時代じゃないし。あとは当時音ゲーの「ビートマニア」が流行っていたので、そこで流れるような映像をつくってみたかったです。今でいうとVJみたいなものに憧れていたのかな。
でも美大って授業料も高いですよね? それでギャンブルで身を立てるという方向に?
もぐら 高いですよね。そもそもうちの親からは「中学までは行かしてやるから、高校からは自分で行け」って言われてて。今考えたら中学までは国が行かせるんじゃねえかって話ですけど(笑)。だから高校時代からバイトして、自分で学費を払ってたんですよ。まあ、公立だから授業料と教材費合わせても月2〜3万程度なので、バイトすりゃ簡単に稼げましたし、残ったカネは自分で使えるわけだから、嬉しかったですけどね。『ジャンプ』買っても不自由しない生活を手に入れられたので。で、一浪してから大阪芸大に行くんですけど、浪人中にパチンコ屋で働いているときにスロットを覚えて、200万貯められたんです。
すごい! 美大に行くにはまさにそれくらいかかりますよね?
もぐら それで大学に行けたんすけど、1年のときに法律が変わって・・・。
法律?
もぐら 悪法ですよ、本当に。国がパチンコを出なくしたんですよ。本当に勘弁してくれって話ですよね。今からでも遅くないから、戻してほしいですよね。あの頃と同じようにはならないから。それからどんどん負けて負けて、すぐにカネがなくなって除籍って感じっすね。
ギャンブルこそ
最高の趣味だ!
それからはプロのギャンブラーになるんですか?
もぐら いやいや、プロならもっと勝ってますよ。こんなのクソのギャンブラーでしょう。でもギャンブルって、世界で一番お得な趣味だと思いますよ。
得しますかね?
もぐら いや、得ですよ。〝依存症〟みたいなネガティブワードをつけて近づかせないようにしてますけど、我々に言わせればこれは罠ですから。そのせいで我々は「パチンコ行くからカネ貸してくれ」って言えなくて「ちょっと友達が倒れて見舞いに行くから2万貸して」ってウソをつかないといけないわけですよ!!
それこそまさに依存症というかクズじゃないですか(笑)!
もぐら 世間様がパチンコや競馬を悪者にしてるからこういうウソをついてしまうだけで、そうじゃなかったら我々は正直に言いますよ。「明日G1勝ちてえから2万貸してくれって」(笑)。早くそういう社会になってほしいですね。
ぼくは一切ギャンブルをやらないので、仰ってることが全く理解できないんですけど(笑)。
もぐら いいですか、この世にあるすべての趣味ってカネが減るんです。当たり前ですよね、楽しんでるんだから。増えることはありえない。でも、競馬にパチンコ競輪競艇、これおカネが増えますからね、はい。意味わかんなくないっすか? 山下さんが着てるオシャレな洋服も、買ったらおカネが減るだけですよ。しかも消耗していくから、いつかはなくなる。それなのに、ギャンブルだけはなぜか〝増える〟ということがあるんですよぉ!!
う〜ん、た、確かに・・・。
もぐら 野球でも観に行ったら、酒飲んで何か食って、ユニフォームでも買えばすぐに2万はなくなるけど、応援してるチームが勝ったらそれだけで喜べるじゃないすか。でも競馬は野球と同じような楽しさを味わえるのに、推しの馬が勝った場合はなぜかカネが増えているという。こんなの、ありえないですよ。やっぱ国がやってるだけあって、やればやるほど得するシステムになってますわ、これ。
ちょっと真理を突いているかもしれない・・・(笑)。で、話を戻しますが、大学を除籍になった後も大阪に残るんですよね?
もぐら そうですね、俺はもう、除籍になる前から最後の悪あがきというわけじゃないですけど、高収入という文字に惹かれて、梅田のマットヘルスで働き始めました。でも、除籍になるタイミングでその店も潰れてしまったんです。そしたらそのお店のマネージャーさんみたいな方が、次のお店を紹介してくれました。ラッパーのUZI似で、スキンヘッドにヒゲを生やした怖い人だったんですけど、「お前には申し訳ないが、この店はもう今日にでも潰れる。ただ、お前が次に働く場所はもう決まってるから」って。渡されたメモに書いてあった住所に行ってみたらそこがデリヘルの事務所で、3年くらい電話受付として働きました。
3年も! けっこう真面目なんですね(笑)。
もぐら そうっすね。仕事さえ真面目にやってればカネを貸してもらえるんでね(笑)。
確かにその通りですね(笑)。でも、もぐらさんがそんな生活の中で芸人を目指したのは、いつくらいだったんですか?
もぐら 大阪芸大では落研(落語研究会)に入っていたので、辞める前には芸人になりたかったんですよ。だからNSC(吉本総合芸能学院)に入るお金を貯めようと思って働いていたんですが、全然貯まらなかった。ギャンブルで負け続けて、給料が「前前前世」じゃなくて「前前前借り」みたいな状況になって、もう追いつかなくて。そんなときに働いていたデリヘルの社長さんが、「芸人になりてえんだったら俺がカネ貸してやるから、とにかく東京に行け」って、100万円くらい貸してくれたんですよ。いつ返せばいいか聞いたら「もう売れてからでいいよ」って。そのおかげでNSCに入れたんです。寝不足の唐沢寿明さんみたいな方でした・・・。
それはものすごい縁ですね。「俺、もうダメかもしれない」みたいな気持ちになったことはなかったですか?
もぐら いや、それは全然なかったですね。まずギャンブルやってる時点で人生が楽しいんで。パチンコ屋は毎日開いてるし、土日になれば競馬があるし、「俺ダメかも」みたいに思う余裕はないっす。負けてもカネ借りられるし。
でも、まわりにはどうしようもなくなってる人たちもいっぱいいますよね?
もぐら 本人とかそのまわりは、そんなふうに思っていないんですけどね。オーバーグラウンドで真面目に生きてる人からはどうしようもねえって思われるけど、ちょっとズームしていったら、それでもみんな頑張ってましたよ。自分のいる世界の中で、少しでも出世しようとか楽しくやろうとか、普通の生活に戻るために頑張ろうとか。
今「空気階段」でもぐらさんが演じているキャラクターって、そういう日々の中で出会ってきた人たちがモデルというか、ベースにあるんですか?
もぐら 団地やデリヘルで会ってきた人たちもそうだし、多分いろんな人たちの要素がちょっとずつ入っているんでしょうね。本当にひどい人たちばっかりだったから、完全にモデルにしちゃうと差し障りがあるんですけど(笑)。もう考えられない人ばっかりでしたよ。
芸人を始めた頃、自分は売れるだろうと思っていましたか?
もぐら いや、売れるとか売れないみたいなこと自体をイメージできなかったですね。『進撃の巨人』でいう〝海〟みたいなもので。若手芸人なんて、みんなそんなもんだと思いますよ。でもたまにしっかり考えられるヤツはいて、そういうのは売れていくんですけど。
若手芸人にとっての「売れる」は「見たことのない海」(笑)! それでもいい暮らしをして、いいクルマ乗って、みたいな欲求はあったんですか?
もぐら まああったかもしんないですけど、俺にとっては水洗トイレであれば「いい家」なので、もう基準が全然違うんですよ。
東京生活は家賃1万7000円の
アパートから始まった
もぐら あ、山下さん、ちょっとヤニが切れたんで、一緒に買いに行きませんか?
承知しました(笑)。もぐらさんは東京に来た頃から高円寺に住まれているんですか?
もぐら そうですね。NSCの入学金とか払ったら東京に来た時にはもう10万しか残らなくて、リュックひとつ背負ってきました。今はもうない中野の不動産屋さんで「今日から安く住めるとこないですか?」って聞いたら、家賃5万とか4万のところを紹介してくれたんですけど、「高いです」とか言って。そしたら3万とか2万のところを出してくれたんですけど、それも「ちょっと高いですね」って(笑)。
2万円は高すぎると(笑)!
もぐら そしたらその担当者さんが、「ぼくの知り合いで最近借家業を再開したばかりの人がいるんですが、書類とかはないけれど1ヶ月1万7000円なので、そこ見に行きますか?」って言ってくれて。それで紹介してもらったのが高円寺なんです。だから住み始めたのはたまたまですね。4畳半で風呂なしトイレ共同でしたけど、なぜかトイレはウォシュレットでした(笑)。
それから東京を拠点に移したと。たまにバラエティ番組でお話される「ネズミしかかからない病気」になったのは、その頃ですか?
もぐら 当時は歌舞伎町で無料案内所のバイトを始めて、ハッピ着て「おっぱいいかがっすか〜」とか言ってました。高円寺の家が原因か歌舞伎町が原因かはわからないんですけど、どっちもネズミがいっぱいるんでね。ライブの当日に喉がものすごく痛くなって、声が全然出なくなったんです。月に一度しか出番がないので、なんとか本番は気合い入れてやったんですけど、終わった後はやっとこさ声が出るみたいな状況で、案内所で「おっぱいいかがっすか〜」とか言っても、声がカスカスなんですよ。それで店長さんに、そんな声じゃ客が来ないから頼むから病院に行ってくれって言われて、病院代を貸してくれたんです。当時は保険証もなかったから。
ああ〜、医療費全額負担!
もぐら それですぐに大学病院に行ったら、救急の先生はひとりしかいなくて、「よっぽどのことがなかったら帰ってもらいますよ」って念押しされたんですけど、口開けた瞬間に「ああこれダメだ。ネズミしかかからない病気にかかってます」って(笑)。入り口に「重病患者」って書いたパネルを出して「もう今日はあなたで終わりです」っていう。
即隔離(笑)。
もぐら 実はその日、俺の後からもうひとり患者さんが来たんですよ。血まみれで警察に両脇を抱えられて手錠したヤツだったんですけど、そいつ先生に「帰ってもらっていいですか」って言われてました(笑)。それですぐ入院したんですけど、抗生物質がすごく効いて、1週間の予定が半日で治って退院したんですよ。先生には「回復力もネズミ並みですね」って言われました。
(笑)。やっぱり平成とは思えませんね。20代の頃ですか?
もぐら 25、6くらいですかね。そのときツバも飲めない状況だったから点滴入れたんですけど、500mlくらいの量でも2時間とかかかるんですよね。口からならそんなの10秒くらいで飲めるわけだから、人間のカラダってやっぱりすごいなって。もし放っておいたら喉が腐って落ちてたって言われたし、めちゃくちゃ怖かったですね。
半端なギャンブルじゃ
〝汁〟は出ない!
たった10年程度前の話とは思えないですね(笑)。それが今や、大ブレイクという。
もぐら 売れてるんですかね?
いやあ、すごいでしょう。今や高円寺といっても、高級マンションなんじゃないですか?
もぐら 確かに1万7000円じゃなくて18万円くらいのところに住んでますけど、もともと家族で住んでいた物件なんでね。本当はまたひとり暮らし向けの物件に引っ越したいんですけど、それにもまとまったカネが必要じゃないですか。それ全部競馬に突っ込んじゃうんで、ドカンと当たってくんないとまとまったカネが入ってこないんですよ。
でもこういう仕事されてると、CMの仕事でドカンと現金が入ってきたりして、もはやパチンコなんてつまんない、みたいなことにならないですか?
もぐら そんなことないですよ。競馬でドカンやられて「ああカネがない、もうパチンコしかねえ」ってまた負けて、「もう勘弁して〜」っていう状態なんで。そもそもパチンコってそれ自体楽しいですからね。
そうなんですか?
もぐら 自分でハンドルを操作して力を加減して玉を入れて、319分の1を引き当てる。あれは神の領域ではありますけど、自分で当ててるんですよ!
ああいう出ないシステムになってからも、やめられないんですね?
もぐら だってパチンコって平等ですから。どんなに頭いい人でも、勉強嫌いな人でも、めっちゃ仕事してる人でも、仕事してない人でも、みんなが平等に319分の1を引けるかっていう勝負なので、本当に楽しいですね。
岡野陽一さんもそうですが、大変失礼ながら〝クズ芸人〟みたいなくくりで世に出ちゃったから、そういう振る舞いをしなくちゃとか、無理してたりしないですか? 実はこっそりゲレンデヴァーゲンに乗ってたり、六本木の寿司屋でメシを食べてたりして(笑)。
鈴木 勝ったらいいもん食いますけど、ベンツに乗るような感じだったら、そもそも〝クズ芸人〟みたいな出方はしてません! でも岡野さんだって全然カネないですよ。昨日もディレクターに5万借りてたし(笑)。財布の中に1万円入ってたら1万円賭ける。10万円入ったら10万円。100万円入ったら100万円。1500円入ってたら1500円。これ、我々にとっては全く同じ。イコールです。
期待を裏切らず、素晴らしいですね(笑)。
もぐら やっぱ〝汁〟ってそういうふうにできてるんでしょうね。もう〝汁〟の楽しさを知ってしまったら、逃れられないですよ。たとえば財布の中に40万円入ってるのに、1万円とかじゃ、もう〝汁〟出なくなってます。「40万ありがとうございます! 40万賭けさせていただきます!」ってしないと、出てこないんですよ。
水原一平さんも〝汁〟の楽しさを知っちゃったんですかねえ(笑)。
もぐら ああ、彼はちょっとやそっとの勝ちじゃ〝汁〟が出なくなっちゃったんでしょうね。
「勝っていい暮らしがしたい」みたいなモチベーションじゃないと?
もぐら 俺は競馬のときは未来が知りたいですね。予知能力への挑戦です。
思ったよりもピュア!
もぐら 3番5番が来るって予想してその通りに来るって、もはや予知に近いんじゃないかと思ってて。だから我々は未来を知りたくてお金を賭けているという感じですね。やっぱ真剣に賭けないと人間の第六感は働かないんで。
タワマンとかほしくないですか?
もぐら そもそも高所恐怖症なんで全く思わないですね。体が安くつくられていて、親に感謝です!
ロレックスもいらないですか?
もぐら ロレックスか・・・ないっすね。そもそも時計って、冠婚葬祭のときに着けるものじゃないすか。〝時を纏う〟ってオシャレだと思うけど、俺は興味がないから。いつか大勝ちしたらG-SHOCKとか買おうと思います。
最近、芸人さんのYouTubeを見てると、時計とかクルマとかジーンズとか、ファッションっぽい内容がすごく増えてますけど。
もぐら それが社会の大多数の皆さんの興味の対象なのかもしれないすね。
お洋服とかはご自分で買われているんですか?
もぐら いや、もらったもんばかりですね。
今日着られているTシャツも?
もぐら これも頂きました。『刃牙』シリーズの30周年記念展覧会のヤツですね。刃牙が大好きなんで。
もはや高円寺は
東京のニューヨーク!?
そんな鈴木さんにとっては、昨今の高円寺のファッションタウン化には複雑な思いがあるんですか?
もぐら 最近は古着屋ファッション勢がすごい勢いで侵食してますからね。ガード下だってめちゃくちゃオシャレになっちゃったし、今や高円寺は東京のニューヨークっすわ(笑)。ぼくはあっちのほうに飲みに行くことはあまりないんですけど、せめて喫煙可であってもらいたいですね。
でも最近の高円寺はずいぶん変わったし、そのうち本当にお金持ちエリアになるかもしれませんね(笑)。
もぐら なりますかね〜!? 中央線はやっぱ「ガヤ」と「カノ」が強いから、ここだけ家賃がなぜか下がるという現象が起きてますけど。「カノ」は新しく西口とかできて、これから物価が上がりそうな匂いがすごいっすからね。高円寺はまだ銭湯も3軒くらいあるし、その周りには風呂なしのアパートもたくさんある。そういう意味では、ひとり暮らしにとっては優しい街ですよね。
芸人さんの街でもありますよね? もぐらさんも「キングオブコント」で優勝されたときは、純情商店街に巨大な横断幕が掲げられていましたけど。
もぐら あれは商店街の方々が知っていてくださったんですよね。本当に嬉しかったんですけど、同時に高円寺から引っ越せないという呪いもかかったと思います(笑)。あそこまで高円寺芸人と言われたら、今さら目黒には行けませんから。だから一生いることになるんだろうな、と。
今日は行きつけだという居酒屋の「和田屋」さんでインタビューさせてもらっていますが、こちらは友人の芸人さんと行かれるんですか?
今回のインタビューにご協力くださったのが、もぐらさんの行きつけであり〝高円寺の宝〟と謳われる居酒屋「和田屋」。昭和57年に創業したこちらは、家族経営ならではのアットホームな雰囲気で、毎晩大賑わい! 新鮮なお刺身ややきとんを、驚くような価格で提供してくれる。こちらの若大将のニイヌマリョウさんともぐらさんは競馬友達でもある。
もぐら いや、七割方はひとりですね。最近は単独ライブが忙しくてなかなか行けてませんけど、高円寺いち刺身が美味い店と言われていますから。俺が今最も危惧しているのは、ここがアメリカ人とかにバレたらとんでもないことになるんじゃないかって。
ぼくも値札を見てびっくりしました(笑)。これって税抜きですよね?
若大将 いや、税込。やっぱわかりやすくないとダメだよね。
もぐら だから500円とか言っても、実質それより安いんですよね。
このあたりは「ニューバーグ」さんもそうですが、値段がバグってるお店が多いですよね?
もぐら 「ニューバーグ」、美味いっすよね。コメが進むし。俺はやっぱメキシカンっすわ。
私の学生時代、あれはいったいなんの肉を使っているんだと話題になってました(笑)。
若大将 昔は肉っぽくなかったけど、最近は肉っぽくなってきたよね(笑)。ハンバーグを積み重ねた重みで潰れた下のほうは、「ヘリ」って呼ばれてたな。
もぐら この時間に行くと「ヘリしかねえ」みたいな(笑)。
もぐらさんは、ご飯から買い物、ギャンブル、風俗まで全部高円寺なんですか?
もぐら パチンコは「メッセ」で、風俗は最近行ってないけど、昔はよく行ってました。もうだいぶ前に雪がとんでもなく積もったお正月があったけど、その朝もピンサロに行きましたね。
受付や客引きの仕事をされていたりすると、自分ではあまり行く気にならない、みたいなところもあるんですか?
もぐら 俺は働いていたからこそ、真面目な子がたくさんいるってことはわかってるんで、逆に夢見ちゃってるところもありますよ。
上京できたのもオーナーのおかげだし、周りの人たちの優しさに触れてこられたわけですもんね。
もぐら 結局やっぱりね、人間はひとりでは生きていけないんですよ。『カイジ』だって世間的にはデスゲームみたいなものだと思われているかもしんないけど、あれは必ず仲間と勝っていくのであって、ひとりでは絶対に勝てない。まさに友情・努力・勝利の世界なんですよね。
そうか、実は『カイジ』は、極めて『ジャンプ』的なマンガなんですね。
「ハッピーランド」の
子どもたちに
団地時代の自分を見た
そういえば最近、SNSにフィリピンで撮った写真をあげておられましたが、あれはお仕事だったんですか?
もぐら 完全な旅行です。俺は4歳の頃から親父にフィリピンパブに連れて行かれていたから、フィリピンの方が大好きなんですよ。優しくて陽気な方が多いなって。現地ではギャンブルばかり行ってましたけど(笑)。
すごい場所にいるなって。
もぐら ああ、マニラの「ハッピーランド」。ゴミの上にできている街みたいな感じなんですが、俺の子供時代と全然変わらなかったですよ。あそこで暮らしてる子供たちは、その日その日を普通に笑顔で楽しく暮らしている。目を見れば彼らが本当に楽しいんだなっていうのがよくわかりますよ。もちろん生活水準で言えば、俺が暮らしてた団地よりもずっと貧しいですけどね。だからあの場所は、彼らの問題というより行政がなんとかしていくしかないんじゃないかって思いますね。
思いがけずいい話になってきたな(笑)。もぐらさんは、将来の夢とかはあるんですか?
もぐら ありますよ。馬主です。
ば、馬主ですか!
もぐら 今は潰れちゃったんですけど、高円寺のルック商店街のゲーセンで、『スターホース』っていう馬を育てるゲームを毎日やってたんですよ。朝から並んでいい席を取って、一日中メダルで買ったスイカとかメロンをあげてました。あのとき育てた俺の馬を、実際に走らせてみたいっすね。
へぇ〜! 今のもぐらさんだったら、すぐに叶えられそうな気もしますけど。
もぐら いや、馬主はマジで審査が本当にきついんですよ。何年連続いくらの所得で、総資産1億円以上とか、成金がなれないようにできているんです。でも俺はいつか、あの頃育てた「リバーサイドモグ」という馬を新聞に載せて、全国の競馬ファンの方々に見てもらいたいんですよね・・・。
今の勢いでギャンブルやってると、1億円貯めるのはなかなか難しそうですね(笑)。
もぐら まあ、勝ちゃいいんでね。1万円の1万倍か・・・。確かに一発じゃ無理だから、コツコツWin5ですね。いや、いけるかな?
最近流行りのビットコインとか、投資みたいなことには興味がないんですか?
もぐら あれ、時間がかかるじゃないっすか。結果、すぐ知りたくないっすか? だって競馬って1分とかで結果がわかるんですよ。俺は1年とか、絶対に待てませ〜ん!!
1987年千葉県生まれ。身長165㎝、体重96kg。2010年に上京し、2011年NSC東京校に入学。2012年に水川かたまりさんと「空気階段」を結成する。結成4年でキングオブコントの準決勝に進出し頭角を現すと、2017年にはラジオ番組「空気階段の踊り場」(TBSラジオ)がスタート。2021年にはキングオブコントで優勝を果たす。将棋はアマチュア2段、麻雀はアマチュア4段の腕前を誇る。