2024.11.21.Thu
今日のおじさん語録
「世界はあなたのためにはない。/花森安治」
『ぼくのおじさん』<br />
インタビュー
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連載/『ぼくのおじさん』 インタビュー

「など」を本業にしたおじさん
みうらじゅんの
ロックな獣道の歩き方
(後編)

撮影・文/山下英介

みうらじゅんさんインタビューの第二弾。7歳で怪獣スクラップを初めて以来、いまだにドバドバと溢れ続けて止まらないリビドーの源ってなんだろう? 見せかけだけじゃない、本当に格好いいおじさんになる方法を、みうらさんに教えてもらおう。

一番気になるおじさんは
「自分」だった

前編はこちら

今、みうらさんが気になってるおじさんっていますか? 最近は「黄色い帽子のおじさん」ブームみたいですけど。

みうら 〝黄おじ〟がいましたね(笑)。ぼくの勝手な解釈ですが、あの黄色は金色に輝いて悟りを拓いた証で、おさるのジョージが何をやらかしても怒らない。無怒菩薩の境地なんだなと思っています。なので最近は〝黄おじ〟の人形をずっとカバンに入れて持ち歩いて、イラついたときはよく見てたんですよ。でも今はすべて展示に回ってるから、不安なままなんですけど。

みうらさんにもイラついたりするときがあるんですね。不安というのは、将来に対する不安とか(笑)?

みうら 若い頃はなんとなくわかったような気がしてたけど、結局一番わからなかったのは自分ですからね(笑)。かといってダメなことばかり考えるし、65歳なのにいまだにオナニーしてるし、どんどん不思議になってくるよね。本当に将来のことを考えているのかと、問い詰めたらあんまり考えていないような気もするし。こうしてインタビューして頂くと本当にそんなこと思ってんの?って。もう一回聞かれたら違うこと言うよ、多分。

やっぱり65歳になってもオナニーはやめられないんですね(笑)。
人間の煩悩に「いいかげんにしなさい!」とツッコミを入れてくださる「つっこみ如来」。

みうら それは趣味じゃなくて癖だもんね(笑)。さっき言った答えがないのが答えっていうのも、なんとなく今思いついたから言ってるだけでしょ?っていうツッコミが自分のなかで入るわけで。そもそもひとり会議って言ってたやつは、脳内ボケツッコミなんだよね。「そういうこと言っちゃダメでしょ」とか「それ冷たくねえ?」とか自分自身にツッコミを入れてようやく生活できてるけど、それはいまひとつ自分が信用できないからであって。一時期〝I don’t believe me〟って文字が入ったTシャツをつくって着てたこともあります。〝自分を信じない〟ってことを強く思わないとダメだなって。

過信は禁物だと。

みうら ですね。でも、そんな後ろメタファーが原稿を書いたりする原動力になっていることは確かなんですけど。歳を取れば、それはなくなって堂々としていられるもんだと思っていたけど、実際は深まるばかりなんです。どうです? 週刊文春でやってる連載タイトル? 『人生エロエロ』(笑)。

申し上げにくいですが、65歳の連載のタイトルじゃないですね(笑)。

みうら 自分で決めたタイトルですし、もう10年以上もやってますから堂々と言えればいいんですが、やっぱね、後ろメタファーがあるわけで。内容もものすごく葛藤しながら書いてるんですよ、毎回。

引っ越しセンターのおばさんが並べたまんまにキープしているという、事務所の本棚。「愛染恭子、どじょうすくいときて江戸川乱歩って、めちゃくちゃだけどなかなかいいセンスでしょ?」
みうらさんは、もはやそういうところから解脱されているのかと思ってました!

みうら いやいや、毎週、3、4回は書き直してますから。最初に書いた原稿はそらあひどいですよ。それをだんだんほぐしていってね。それに添えるイラストも、モロじゃなくてもう少しやんわりとした絵のほうがいいんじゃないか、とかすごく悩むんですよ。だから今でも、「『人生エロエロ』って連載やってるんです」って、初めて会った人には言えない(笑)。

言えないんだ(笑)。

みうら それも堂々としたエロ小説書いてるんだったら言えますけどね、ぼくのエロエッセーで抜きましたなんてヤツいないじゃないですか、この世に。

「これは風間ゆみさんのAVデビュー25周年を記念して、ぼくが勝手に描いたもの。プレゼントしたら風間さん、家に飾ってくれたみたいです」
まあ、勃たないですね(笑)。

みうら でしょ?(笑)。だからそもそもタイトルに偽りありなんですけど、自分の後ろメタファーを晒すことで、自分自身がビンビンくる。ちょっと変わった変態なのかも。

その生々しさが面白さなんでしょうね。

みうら そうそう。昔よく行ってた鉄板焼き屋さんがあるんですけど、文春に書くようになってからぼくの顔と名前が一致したんでしょうね。入って席に着くなりお店の大将が「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた」って、その連載の冒頭をでっかい声で言うんですよ。ほかの客もいるのに(笑)。たぶんその大将は、ぼくが喜ぶと思って言ってくれたんだろうけど、もうその店には二度と行けないじゃないですか。そんな消え入りたいような後ろメタファーが、まだ自分の中にあるんですよ。

そりゃ普通の人は恥ずかしいけど(笑)、みうらさんは大丈夫な人だと思ってました。

みうら 一番大丈夫じゃないです(笑)。ま、それがつくり手としてはしめたところで、そこにはロッケンロールの前にある初見ロールがあるわけだから、まだ続けていられる理由はそれじゃないかと。見られて恥ずかしいものを見せる新鮮さが、まだちょっと残ってるんですよね。ずっと自分はノーマルだと信じて疑わなかったですけど、それが癖になってるわけだから、そういう意味では変わった変態ですよね。

私はみうらさんの本だと『正しい保健体育』シリーズが好きなんですけど、あれは最高に変態でしたよね。第2章「金玉と包茎」 1)サオとフクロ 2)銃身と弾丸 ときて、ご丁寧にルビまで振って(笑)。そうか、もうこれも20年近くも前なのか・・・。
若者向けの教養書シリーズ「よりみちパン!セ」から出版された『正しい保健体育』シリーズ。悩み深き青少年の必読書!  文春文庫からポケット版も出版されている。

みうら やっぱ、ぼくの後ろメタファーの根源は性のことだから。でもそれってぼくだけじゃないよね。だから、上の世代があんなの滑稽なもんだよって言ってくれたら、どんなに楽になるだろうって気持ちで出したんだと思いますよ。

親が間違えて買ったら叱られるでしょうけどね(笑)。

みうら 〝正しい〟って何だ!とね。でもこっちは叱られると思って出してるのに、叱られなかったから、逆に怖くなったりもします。まあ自分の人生を振り返ってみると、性に関することはかなりトンマなことばかりだったしね。映画で観た、気取ったヤツがセックスする話じゃなかったわけで。

相当間抜けでしたね。

みうら しかも最初は大概の人がうまくいってないくせにねえ。人間だもの。でも問題は、しょうがなくビンビンになったときどうするかですよね。

どうするんですか(笑)?

みうら 通学電車の中で不意にビンビンになったことがあるじゃないですか。仕方なく次の駅で降りたりしてたけど、その姿は俯瞰で見ると滑稽ですよ。そもそもチンコという名前ってどうなんです? 滑稽じゃないですか。そう思えるかどうかによって、人生って変わってくると思うんですよね。まあ、だからあの本はヤリチンの人は絶対、手に取らないでしょ? 参考にならないもん。

確かに私もモテなかったです(笑)。でも、自分が学生の頃は、大人になれば自分にも自制心が芽生えるのかと思っていたんですが、なかなかうまくいかないものですね。

みうら 結局、大人は子供の成れの果てですからね。成人の日が来たからって急に大人になれるわけないし、なれるほうが変ですよ。

本業は「など」!

性の悩みから解放されたら、真のクリエイターというか芸術家になれるんじゃないかと思わなくもないんですが。

みうら いやでも、芸術家ってのも疑わしくないですか? 漫画家もそうだけど、ずっと家にこもってなきゃいけないのかな? 

みうらさんは、職業欄になんて書くんですか?

みうら 今は一応、「イラストレーターなど」って書いてますけど、むしろやってる仕事は「など」の方なんで。

「など」が本業(笑)。

みうら でも、それが本当なんだもん。でもやっぱ堅めの出版社は、「など」を許さないんだよね。そんな職業はありませんって。それでも「など」がメインだからって何度も説得して、ようやく入れてくれるようになったところもあります。

「など」の2文字に相当カロリーを使ってるんですね。

みうら 世間って、ないと思っているものに対して、すごいダメ出しするじゃないですか。何年か前に『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)って本を出したんですけど、それが解説書みたいなもので、般若心境の空みたいなことに、みんな少しは気付いたんじゃないかと思うんですよね。

それは私も拝読しました。ちょっとブランド論にも繋がる話で、非常に興味深かったです。

みうら 〝本業〟に定年があるのはおかしいじゃないですか。若い頃にインタビューを受けたとき、その出版社の人はぼくが今、どれだけ不安なのかを聞き出したかったみたいなんですよ。「不安定な自由業で、売れなくなったらどうするんですか?」なんて聞くんですよ。それでこっちが「あなたは不安じゃないんですか?」って聞き返したら、「ぼくは会社があるので大丈夫です」って。いや、そっちの方が首切られるかもしれないし、定年だってあるでしょ? ぼく、人生で最初で最後、インタビューの途中で帰りましたよ。

それは失礼なヤツですけど、その既存の価値観に対する疑いのなさは、すごく80年代っぽいですね。その感覚は今でも根強く残っていますし。

みうら 結局、モノを売ることって人の不安を煽ることだから。

それは実際のところ、ありますね。

みうら その点「ない仕事」は誰も不安にさせませんからね。ゴムヘビなんて、誰も不安になって集めないでしょ(笑)。

「みうらじゅん事務所」の、マットーに見せたスリッパ。
うーん、確かに持ってなくても不安にはならないですね(笑)。

みうら まずはうらやましがられないことから始めないと。だから、あの本の初めに書いたように、みんな「みうらさんはどうやって食べてるんですか?」って聞くんですよ。

それはぼくも聞きたいですよ。

みうら そのためにいっぱい連載してるわけでね(笑)。仕事は食うため。でも、食えるわけのないゴムヘビをなんとか仕事に持っていくのが「ない仕事」の面白さなんだけどね。タイトルを曲解する人も多くて「仕事のない人にとってはあの本はすごく嬉しかったんですよ」とか言われるの。ごめん、仕事はあるんだから、ぼく(笑)。

仕事のない人に安心を与えちゃったわけですね(笑)。

みうら ぼく、本って今まで170冊くらい出したんですが、仕事ってタイトルが付いてるの、あの本だけなんですよ。だから、パロディのつもりもありビジネス書の体で出版したんです。そしたら見事に誤解が。

現代の空気感と見事にマッチしていたと思います。

みうら いや、すべて誤解です。ただ、今の世の中の人が安定する仕事のことばかり考えているとしたら、これはちょっと虚しいなって思いますけどね。

金になることってつまらない!

みうらさんと田口トモロヲさんのユニット「ブロンソンズ」によって、1990年代にブームを起こしたチャールズ・ブロンソン。2003年の逝去時はロフト・プラスワンにお坊さんを呼んで、勝手に日本の遺族を名乗って「ブロン葬」を執り行ったという。手前に鎮座するのはみうらさんがデザインしたキャラ「テングー」だ。
狙い通りにバッチリ当たっても、虚しくなることもあるんですね。

みうら よくプロフィールに「マイブームやゆるキャラなどで有名な」って書かれてるんですけど、それはどうかなって。ようやく世間に納得してもらえる肩書きができたのはよかったかもしれないけど。

あれこそ、地方公共団体や広告代理店のスーツを着たおじさんたちと仕事をするようになったブームですよね?

みうら ブームになる何年も前、ゆるキャラの本を出してくれた扶桑社と面白いから©️を取ったわけです。それが権利ビジネスじゃないかって面倒くさいことに発展しちゃってねえ。

商売っけのなさがキモだったゆるキャラが、いきなり生臭くなったんですね。

みうら ゆるキャラより先に、ゆるキャラまわりがゆるくなくなってね。結局、好きだったのはお金のほうだったんじゃないですか。ぼくはその渦中からすっといなくなろうと。そんな、そもそもメジャーになったものに興味はないですから。金になることって途端に面白くなくなります。だから、ない仕事は「こんなの絶対金になんね〜」って言ってもらっているうちが、花だと思いますね。

「ぼくのおじさん」なんてまず儲かりそうもないメディアとしては、それは元気付けられる言葉です! でも、意外ですけどその腕にはめちゃくちゃ高そうな時計が輝いてるんですが・・・。

みうら これは金ブームのときに思わず買っちゃったんです(笑)。金山とか、何でも金色が付くものを集めようとしてたときに、時計屋さんで見つけて。とりあえずカードを出したんですが「お客様のカード上限額では買えません」と言われ、ケースから出してもくれないんです。それが悔しくて近くの銀行で270万円おろして持ってったんです。そしたら店がなんかざわついて、結局最後は最敬礼されて買ったという水戸黄門みたいな話です。

みうらさんの手首で不自然に輝く、金無垢&ダイヤ入りの「ロレックス デイデイト」。
金無垢のロレックスはステイタスじゃなくて、ロボット鉱夫からの流れだったと(笑)。

みうら ですね。佐渡金山的に言えば(笑)。時計マニアでもある山田五郎さんからは「そんな金あったらもっとええ時計あるがな」って言われたけど、金ブームだったから、これじゃなきゃダメだったんだよって話はしました。

みうらさんのイメージからすると、ちょっと意外なチョイスですからね。

みうら でも、その違和感がぼくにとってロックなんですよ。だから、最後にゆるキャラの審査員をやったとき、サイケ・デリーさんを選んだんです。高円寺商店街のアレ。こないだ女子アナのスカートをペロッとやったとかで問題になったんだって?

MX テレビで田中みな実さんをペロペロしてましたね(笑)。

みうら それそれ、サイケ・デリーさん(笑)。高円寺フェスで毎年トークイベントやってるもので、ついでにゆるキャラの審査員をやってくれって頼まれたんです。しょうがないかと思って引き受けたんですけど、もう電通みたいに見事なプレゼンをする方ばっかりで。そんなの真っ先に落としたいじゃないですか。こちらとしては(笑)。

ゆるキャラ道に反しますね。

みうら でしょ。でもひとりだけロックな女子が登壇して「ど〜せ通らないと思いますけどぉ〜」と、自分の考えたゆるキャラを紹介したんです。もう、その時点でグッときました。するとね、最後に「キープオンロッケンロール!」って締めの言葉。思わず「いいな〜、君のに決定!」って思いました(笑)。それが、サイケ・デリーさん。彼女のロックがいっぱい詰まった。

さすが高円寺のゆるキャラですね(笑)。

みうら ぼくは昔『イカ天(イカすバンド天国)』という番組に「大島渚」ってバンドで出場したことがあるんですけど、その出たくなったきっかけもロックな女の子だった。あの番組の第1回目(1989年)、エンディングでその子が突然カメラの前に飛び出してきて、「どうせこんなの出来レースだろ」って言って、いきなりパンツおろしたんですよ。何せ生放送ですからもうカメラが必死で逃げてね。初め、それであの番組は話題になったんですよ。

それは知りませんでした! 完璧な放送事故じゃないですか。

みうら ぼく、それ観てていいなあって思って。あのときのぼくは30歳手前。どうにか時流に乗った仕事をして安定しかかってたんですけど、やっぱ鬱憤が溜まってたんですよ。ロックじゃないことに。THE NEWSっていう背の高いロック姉ちゃんたちに憧れてたこともあって、どうにかその番組に出たかった。審査員側じゃなくね。そういう意味でぼくの転機は『イカ天』にあったんですよ。

それがバンド「大島渚」の誕生秘話だったのか。パンクの女の子とTHE NEWSのおかげで、ぼくたちが大好きな今のみうらさんが生まれたんですね!

みうら やっぱ、ハートはロックじゃないとつまんないですよ。でも、今や「キープオンロッケンロール」というか、ぼくは「ループオンロッケンロール」。ループして同じネタをくり返してる。やってることはずっと同じ。これだけは自分が信じられるところです(笑)。

みうらじゅん

1958年京都生まれ。武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン科に入学し、在学中の1980年に『ガロ』で漫画家デビュー。近著に『マイ遺品セレクション』『マイ修行映画』『ハリネズミのジレンマ』(すべて文藝春秋)など。2023年、「特別展 聖地 南山城」でいとうせいこうさんとともに仏像大使に就任。7月22日になら100年会館で「仏像大使トークショー」を開催予定。

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