渋谷にいる『ぼくのおじさん』、
テーラーケイドで
スーツを仕立てたい
撮影/古江優生
文/山下英介
ぼくたちを粋な大人にしてくれる名品はどうやってつくられているか?を探るこの連載。第一回目はファッションや、それにまつわるカルチャーに興味津々なビデオグラファー、古江優生くんが登場。アイビーやトラッド派に支持される「テーラーケイド」を取材してくれた。オーダースーツって、いったい何のためにつくるものなんだろう? 自分のスタイルってどうすれば見つかるの? オーナーの山本祐平さんに教えてもらおう。
ぼくたちは改めてルールに縛られたい!
山下 ぼくは30歳頃からテーラーケイドに通って、今は45歳のおじさんになったわけですが(笑)、最近再び若いお客さんが増えているとか。
山本 20代のお客さんは増えていますよ。彼らは自由な世代だけれど、うちに来るトラッドやアイビー好きのお客さんに限っていうと、逆にルールを教えてほしい、縛られたい、という気持ちがある。決まりごとを知ったうえで崩したいというか。ジャズと同じで、洋服にも100年かけて培われたルールがある。ミリタリーとトラッドをミックスするにしても、パンクっぽく崩すにしても、何も知らなくてはできないんですよね。
古江 ぼくたちの世代は、そういうことを教わってこなかったかもしれません。
山本 今日私がスリーピーススーツを着てきたのは、要するに初めて会う古江くんに対して、礼を尽くしているということ。今日は先輩と山の上ホテルで天ぷらを食べるとなったら、何を着て行こうか。ツイードがいいかな、それともシャークスキンかな……なんてことを人生の中で迷うっていうのも、洋服の楽しさですよね。その喜びが最近は忘却の彼方に行こうとしているなかで、『ぼくのおじさん』というテーマで、改めて取り戻そうという試みは、すごく面白いと思います。
古江 ぼくはもともとSNSに登場する格好いい人に影響されて洋服を好きになったわけですが、最近は純粋に洋服を楽しんでいる人が減ってきているような気がします。つまり数字が目的化すると、みんな〝何が正解か〟で投稿してしいまう。その結果、どんどんその人なりの個性が失われてしまったような気がするんですよね。
山本 洋服って、その人のパーソナリティを表現するものなのに、それが消えちゃうと面白くないじゃない。最近はテーラリングの世界でも、ユニフォームみたいにお決まりのブランドで全身を固める人が増えましたが。逆にファストファッションみたいな、薬局で売ってる洗剤みたいな感覚の服ばかりというのもつまらないよね。それより映画で見たあの人のコートの着方が格好いい、この素材なんだろう?とか、そういう価値観のほうが尊いと思うんですよ。うちに来る若いお客さんは、みんなそういうことを聞きたいんですよね。3つボタン段返りってそもそもなんだ?っていう(笑)。
古江 それ、知りたいです。
山本 あれは〝ぼかしの美学〟なんですよ。あえてきっちり見せないという。そういうものがどんどん混ざっていって、古江くんのようなどこかトラッドを感じさせる着こなしにつながっているのが、面白い。だから『ぼくのおじさん』って、言うなれば大人クラブなんですよね。私は20代の頃に背伸びして帝国ホテルのインペリアルバーに行ったんですが、格好つけていても、慣れなくて、もう膝なんてガクガクですよ(笑)。それでパッと横を向いたら、初老のふたり組の紳士が、そろってネイビーフランネルのブレザーを着てウイスキーを飲んでいる。その力の抜けたスタイルが、バーの雰囲気ともすごくマッチしていて、いつか俺もこういうバーに似合うような人間になりたいな、って励みになりました。昔はそういう成熟したおじさんが街にいて、バーや洋食屋に一緒に行ったら、そのときの装いや、その場所における流儀を教えてくれたものです。このメディアがそういう場所になったらいいですよね。
〝野暮粋〟と〝素うどん〟がお洒落の美学
古江 テーラーケイドはいつ頃からあるんですか?
山本 2002年にオープンしたから、もう20年だね。昔の探偵事務所のような古い昭和の雑居ビルだったんだけど、立ち退きにあって、今の場所に引っ越してきました。
山下 昔からカルチャーを教わったり、共有するサロン的存在ではありましたね。
山本 山下さんは映画や、何気ない生活の中にある服のスケッチが好きなんですよね。おそらくウディ・アレンのスタイルをはじめてビスポークでつくりにきたひとりじゃないかな(笑)? ウディ・アレンはすごくさりげない普通の格好をしているけれど、完全に確信犯。元奥さんのミア・ファロー曰く、フランク・シナトラよりお洒落にうるさかったというくらいだから。
古江 ぼくから見ると、すごく今っぽいですけど。
山本 最近はこの手の格好が好きな若い人が増えていますよね。〝野暮〟と〝粋〟の間にある、〝野暮粋〟の世界。アメリカの野球場に行くと、映画の『おかしな2人』みたいに、よくなじんだジャケットに野球帽を合わせてバドワイザーを飲んでるおじさんがいるけど、今見るとそれが意外と格好よかったりして。
山下 〝野暮粋〟の概念は山本さんの発明ですね。あと、ブルックスブラザーズが生み出した、いわゆる「1型」のスーツを、〝素うどん〟や〝白ごはん〟に例えていたのが革新的でした。しょっちゅう盗ませていただいてます(笑)。
山本 ああいうものは、一見普通に見えるかもしれませんが、実は長い時間をかけて研ぎ澄まされ、結果的に平凡なデザインへと行き着いているんです。そして私はそういう普通のものを、手間のかかった昔ながらのやり方で、ていねいに時間をかけてつくる。そうしてできあがったものは、まるで釜で炊いたご飯みたいなものなんです。ステッチはこう、芯はこう、とかレシピをごちゃごちゃ言わなくても、食べた瞬間に美味いと思わせるもの。それがいい服ってことじゃないかな。
古江 白ごはんをめちゃくちゃ食べたくなりました(笑)。
山本 〝野暮粋〟とか〝素うどん〟の理論を知っているからこそ、コットンスーツだったらあえてシワっぽく着るとか、帽子だったら斜めにかぶるとか、崩し方がわかるわけ。それがないと、ただの不潔な人になっちゃう。
古江 ぼくはそういう普通の格好を今までしてこなかったことに気づきました。ついついお洒落っぽくハズしてしまうというか。
山本 たとえばアンディ・ウォーホルなんて、身につけているものはナチュラルショルダーのブレザーにボタンダウンシャツ、リーバイス501、ペコスブーツ、といった具合で極めて普通です。でも彼のパーソナリティが、それをモードにしてしまう。だから古江くんがうちで仕立てた普通のグレーのスーツに白シャツを合わせていたら、周りからは「それってプラダ?」なんて聞かれると思う。逆に私がプラダを着ていても、ケイドだと思われるけどね。だからお洒落には服を凌駕するパーソナリティが必要だし、私もパーソナリティを引き立てる服をつくりたいと思うんですよね。
古江 ぼくもそういう存在でありたいですね。
山本 オールデンのローファーとか、リーバイスとか、長い年月を経て残ってきたワードローブって、やっぱり偉大なんですよ。だってM-65なんて、軍人も原宿の若い女の子も違和感なく着られるんだから(笑)。私もそれらに負けない服をつくりたいな、っていつも思っています。
〝旅〟と〝放浪〟の違いってなんだ?
山下 古江くんはスーツ自体は持っているんだよね?
古江 はい。でも、普段はビデオグラファーとして機材を持ち歩くので、それほどジャケットを着る機会は多くないんです。
山本 でもフェリーニにしてもヒッチコックにしても、現場では絶対スーツだよね。あれはストロングな服だから。うちの顧客で売れっ子の写真家がいるけれど、彼も現場に行くときは絶対スーツにタイドアップ。それにハットというのを、ひとつのトレードマークにしているんだ。
山下 THE FIRST TAKEで有名な長山一樹さんですね。彼はそのスタイルと、自分の写真家としてのスタンスを一致させることで、仕事においてもスタンダードを表明していますよね。自分の表現はこれなんだ、という揺るぎなさを。
古江 ぼくの場合は飽き性というのもあるけれど、着たことのない服をどんどん着ていきたいな、という気持ちもあるんです。スーツもいいけれど、エルメスも、マルジェラも、イッセイも着てみたいし。
山下 それは編集者としてすごくわかる。でも、自分のなかで芯になるようなスタイルがひとつあると、とても気持ちが楽になるよ。
古江 だから『ぼくのおじさん』はぼくにとってすごく新しいことなんです。自分の基本を探す旅じゃないですけど。
山本 それは例えるなら、〝旅〟と〝放浪〟の違いなんだよね。〝旅〟は帰ってくる場所があるでしょう? それに対して〝放浪〟は、何かを探してさまよっているわけ。古江くんの場合は〝放浪〟だよ(笑)。でもチャーリー・パーカーだろうとシド・ヴィシャスだろうと、新しい表現というのはどれも人生を放浪している20代がつくりあげたものだから。そして、40代、50代になったときに、その経験をベースに成熟して人生のマスターピースができる。だから若い人は放浪はするべきなんです。
山下 古江くんはもともと一般企業の会社員だったのが、なぜかビデオグラファーという仕事をやっているわけだから、まさに放浪だよね。
古江 そうです。服好きが高じて、服がどうつくられているのか、というのを知るべく友人と工場ツアーを企画して、そのために独学で映像を勉強して、それが仕事になって……という経緯なんですが。山本さんは、今は〝旅〟ですか? それとも〝放浪〟?
山本 私はまだ旅の途中だけど、放浪は40代で終わりましたね。放浪って楽しいから、随分と往生際の悪いことをしたんだけど(笑)。でも今はツイードの服を着てかつての文士たちが楽しんだ旅の道程をなぞってみたり、より深化させることを楽しんでいますよ。
職人には〝文化を守る〟気概が必要だ
山下 数年前に自身のアトリエというか工房を構えられたのも大きかったのでは? 職人さんを何人も雇って、後進の育成に励んでいるわけですし。
山本 私がこだわっている縫製をできるような腕のいい職人さんって、みんな80代なんですよ。もう風前の灯火になっている技術を、ギリギリのところで若い職人に教えて、継承していかなくては、という使命感ですよね。あとはテーラーといっても、自分が前に出たい職人と、裏方として安心しながら仕事したいという職人、2通りいます。後者のような方々に落ち着いて仕事ができる環境をつくりたい、という気持ちもあったかな。
古江 ぼくたちの世代で、職人になりたいという人も多いんじゃないですか?
山本 多いですね。でも志望動機を聞いたら、「ケイドで5年くらい修行したら独立して自分のお店を持ちたい」なんて言う。それって離婚前提の結婚ですよね。そのためにうちが給料と学費を全部払うなんて、筋が通っていないでしょう?
古江 夢を持つという意味ではわかりますが、今はそういう考えが美化されすぎているような気もするし、難しいですね。
山本 もちろん若いから野望を秘めているのはよいことだと思うけれど、文化を守るという考えだけは持っていてほしい。エルメスに行ってもあなた同じこと言えるの?って。もし〝ケイドの文化を守りたい〟と言ってくれたら、ぼくはすぐ入れてあげるし、このお店をあげるかもしれないよって。自分のことしか考えられない人は、うちはNGですね。
山下 海外のテーラーでも、そういうケースは多いみたいですね。日本人がよく働くからせっかく任せようと思ったのに、結局みんな独立して自分のお店を構えてしまう。
山本 自分が好きになったことに対して、もっと恋をしないと。もう雷に打たれたように恋しちゃったから、この落とし前をつけてください!ってくらいの気持ちで来られたら、こっちも受け入れなきゃ仕方ないし。手に職をつけるというのは、それくらいのパワーが必要だと思いますよ。
山下 気持ちはよくわかるけれど、打算的なのはよくないですね。
山本 でももちろん、私の芸は私一代のものなので、引退したらこの手法は世の中から消えてしまう。もしこれから継承者ができて屋号は残ったとしても、新しいやり方を築き上げるしかない。それは歌舞伎役者でもカメラマンでも編集者でも同じことだよね。諦めるわけじゃないけれど、〝一芸一代〟と考えたら気持ちが楽になったし、人生迷わなくなりましたよ。
山下 かつてはスーツカルチャーの奥深さを若者に教えてくれるお店がいっぱいありましたが、今はテーラーケイドくらいしかないから、スーツ界の『ぼくのおじさん』として長く続けてほしいですよ。
山本 私は周波数の合うお客さんと共に、人生のマスターピースをつくることを流儀としています。ものづくりというテーブルを共有した者として、お互い責任を果たさなくてはならない、という考え方なんですよ。
ぼくの初ビスポークはコットンスーツ?
古江 ぼくが一着つくるとしたら、どんなスーツがいいですか?
山本 ものすごい丈夫なチノクロスを使って、スニーカーでもポロシャツでもいけるようなスーツかな。からだが大きいほうじゃないから、ある程度ドレープというか空気を入れてつくりたいですね。間違いなくパワースーツの方向ではない。そこまで決まると、色も自ずと決まってくるわけ。
山下 山本さんのスーツの面白いところは、ビスポークなのにバチバチにフィットさせすぎないこと。いかにも〝ビスポークです!〟みたいな感じにならないんですよね。それがケイドのいう〝野暮粋〟の極意かな、と。
山本 たとえばウディ・アレンとトム・フォードが同じパーティにいたとして、どっちが都会的に見える? からだに合っているというのは当たり前の水準であって、そこにどうやってヌケ感を与えるかというのがポイントなんです。〝急に格好つけてどうしたの?〟なんて言われるようだと失敗だから。パッと着たときに、最初からチャーミングと思われたいじゃない。
古江 スーツというと仕立てとか縫製とかばかりが取り上げられがちですが、カルチャーと技術を結びつけるのが山本さんのクラフツマンシップなんですね!
山本 たとえば街に古いポルシェが停まっていたりすると、クルマを知らない子供だってハッとするでしょ? 私のスーツを着た人には、そんな風に、街に溶け込みながらもなにかが違う、という存在になってほしい。クラシックだけれど古さを感じさせずに、なにか筋が通っている、というね。
古江 あとでぜひ相談させてください(笑)!
- テーラーケイド
映画、音楽、文学といったカルチャーを取り込んだスーツがつくれる世界でも珍しいテーラー。近年ではN.Y.でもトランクショーを開催、熱烈な支持を集めている。
住所/東京都渋谷区宇田川町42-15 中島ビル2階
TEL/03-6685-1101
2002年に創業した東京を代表するテーラーのひとつ「Tailor Caid」のオーナー。ゴールデンエイジの男たちの装いを現代に再現する、卓越したセンスで世界的に有名。ファッションのみならず、映画、ジャズ、自転車、サブカルチャーの知識も玄人級だ。そのスーツは、近年ではトラディショナルの本場、N.Y.の紳士たちの間でも人気を博している。