〝ぼくのおじさんジャケット〟
アルニスの
フォレスティエール研究①
談/松山猛、土屋大樹
写真・構成/山下英介
流行やインスタ映えなんて関係ない、本当に自分らしいおしゃれの流儀は、「ぼくのおじさん」だけが知っている! その第1回目は、今はなきアルニスというブランドの名品ジャケット、『フォレスティエール』を研究してみた。これからのぼくたちにとってアイコンになりうる存在だから、ぜひ覚えておいてほしい。
再注目されつつある
「フォレスティエール」の魅力
ジャック・タチのステンカラーコート。伊丹さんのチャイナジャケット。寅さんのチェックジャケット。〝ぼくのおじさん〟と呼ばれるキャラクターには、アイコンとなるアウターの存在が欠かせない。上質でクラシカルだけれどラグジュアリーというわけではなくどこか野暮ったくて、着倒してもそれが味になって、自由さと表裏一体の得体の知れなさもあって……。そんなアウターは、ぼくたちにとっても憧れの存在だし、ぜひとも若いうちに手に入れてみたいと思うのだ。
たとえば『フォレスティエール』なんてどうだろう。フランスでエルメスと並び称された、アルニスという名門ブランドが1947年につくったこちらは、建築家のル・コルビュジエの注文によって、ハンティングジャケットをアレンジしたという物語付き。カジュアルさとシックさを兼ね備えたデザインと、腕を動かしやすくするために設計されたゆったりめのアームホールが、クリエイターらしい自由な空気を感じさせる。とはいえ必ずしもハードルが高いわけでもなく、生地次第ではフレンチカバーオールみたいな感覚で着られそうだ。要するにこれさえモノにすれば、ぼくのおじさんスタイルは完成するのである!
イタリアのイザイアでつくられたものもあるが、アルニス本店のアトリエでつくられた『フォレスティエール』は、選りすぐりの生地と繊細な仕立てが特徴。コットンをピーチスキンのように微起毛させたこちらの生地は、名うてのファッション業界人たちも「見たことがない」と舌を巻く。
ただ残念なことに、アルニスは数年前に商標権をベルルッティに売却してしまい、今やブランドとしての実態はほぼない。既製服としての『フォレスティエール』も、現在は生産されていないのである。煽るだけ煽っといて申し訳ない!
だが、絶望するにはまだ早い。最近では『フォレスティエール』の魅力に気づいた各国のテーラーやブランドが、〝インスパイア系〟ともいえるジャケットを次々と企画。現代版『フォレスティエール』が続々と誕生しているのである。なかでも東京・外苑前にショップを構える「ラクアアンドシー」は、オリジナルの魅力を色濃く再現したジャケットをつくり、往年のファンをも唸らせている。そこで今回は「ラクアアンドシー」に、業界屈指のアルニス愛好家として知られる松山猛さんと、アルニスに憧れる若手スタイリストの土屋大樹くんを招き、その魅力について語り合ってもらった。
松山猛が語るアルニス&
フォレスティエール秘史
土屋 松山さんがアルニスを見つけたのはいつくらいなんですか?
松山 1980年代かな。ぼくは別に早いわけではなくて、すでにコロネット商会のような輸入代理店や、銀座の和光あたりが扱っていました。普通のテーラーとは違う美意識が自分のライフスタイルに合っているな、と思って集めはじめたんです。今日着ている『フォレスティエール』は、当時買ったものですよ。
土屋 でも、とても高いブランドだったんですよね?
松山 実は神田に「ニューシマズ」という洋品店があって、そこで安く買えたんだよ(笑)。もともと羅紗屋をルーツにもつお店で、10年くらい前に閉店してしまったけれど、お金持ちではないぼくのような人間にとってはありがたい存在だったね。
土屋 今はないんですね(笑)。うらやましいです。
松山 「ニューシマズ」で買ったアルニスを着て、パリの本店に取材に行ったところ、当主のジャン・グランベールさんが喜んでくれて、ずいぶん仲良くさせてもらいましたよ。
土屋 28歳のぼくにとって、アルニスは憧れの存在なんです。実体験できなかったから、歴史上の存在というか。社会人になってようやく買えると思ったら閉店してしまって、今でも残念です。古着屋さんでも全然出てこないですからね。
松山 まあ、世の中はそんなもんだよね(笑)。パリの西のほうにある蚤の市で、アルニスに特化したディーラーがいるから、そこで買ってみれば?
土屋 絶対行ってみたいです! でもフレンチスタイルを実体験していない世代にとっては、アルニスの世界はとてもつかみにくいイメージもあります。あれはフレンチクラシックの典型的なスタイルだったんですか?
松山 1902年にアルニスを創業者したジャンさんのお父さんは、もともとウクライナ系のユダヤ人だったんだよ。ロシア革命から逃れてパリにやってきたけれど、体が弱かったので、なるべく負担のない商売をしようということで始めたのが洋服屋。だからアルニスのベースには、19世紀の白系ロシア人やヨーロッパ人たちの優雅なファッションがあると思う。そしてあの独特な色の世界は、ジャンさんの奥さんが日本人だったことが大きい。黒いカシミアのジャケットの裏地に紫を使うとか、どこか着物チックなんだよ。だからフランスのなかでも王道というよりは、異色のブランドだったと思うよ。アルニスはお父さんの代でエルメスと並び称される存在になったけれど、商売はうまくなかったかもね(笑)。ウィメンズやレザー小物にはほぼ手を出さず、紳士服だけだったから。
解像度の低い写真で申し訳ないが、こちらは2012年に編集長山下が撮影したアルニスの本店。当主が自ら手がけたウィンドーディスプレイに加え、驚くほどのカラーバリエーションを揃えたドレスシャツやネクタイ、そしてソックスの美しさは圧巻。美術館なみに、目と心の保養になる空間だった。現在はベルルッティの店舗になってしまい往時の面影はないが、テーラリングのアトリエだけは残り、スーツや『フォレスティエール』のビスポークは可能らしい。
土屋 エルメスと、ですか! やはりクオリティも高かったんですね。
松山 昔は〝右岸のエルメス、左岸のアルニス〟と言われていたから。これはエリートビジネスマンが集まるセーヌ右岸と、文化人が集まるセーヌ左岸の気風を対比した言葉でもある。アルニスには、ショップの上階にあるアトリエでつくられるクラシックスーツの世界と、ぼくが好きだったカジュアルの世界があったんだけれど、シャツならルイジ・ボレッリ、ジャケットならイザイア、といった具合に、ものによって工場を使い分けて、高いクオリティをキープしていたんだ。その世界観を体現したウィンドーディスプレーは、本当に素晴らしかったよ。
土屋 そんな名門のなかでも『フォレスティエール』は、ぼくの世代だったら誰でも着られるし、着たいジャケットだと思うんです。ゆるめのシルエットは今を感じさせますし、ワークとドレッシーの中間的なデザインもいい。ただ、生地が独特なので、サラッと着るにはまだ修行が足りませんが……。
松山 確かに色が個性的だもんね。ぼくが着ているブラウンのコーデュロイは比較的着やすいけれど。
土屋 ちなみに『フォレスティエール』といえばル・コルビュジエの発案という話が定説になっていますが、写真がぜんぜんないんですよね。本当なんですかね(笑)?
松山 ジャンさんはそう言ってたし、そのうち出てくるんじゃない? ぼくが知るところでいうと、時計師のアラン・シルベスタインは『フォレスティエール』の愛好家だった。そういえば1990年代にジャンさんにインタビューしたとき、中国に出店したって言ってたな。それも上海とかじゃなくて、成都。シリコンバレー帰りのIT技術者がたくさんいるから、という話だったけれど、コルビュジエの時代から現代に至るまで、アルニスはそういうクリエイターたちに支持されていたんだよね。
土屋 本家の『フォレスティエール』はもう買えませんが、「ラクアアンドシー」さんがつくった現代版も、なかなか素敵なんですよ。
ラクアアンドシー うちでは『オルレアン』という名前で展開しています(笑)。『フォレスティエール』本来の雰囲気を尊重したうえで、テーラーとしての仕立てやバランスを加えて、より着用感を向上させた自信作です。ただデザインとしてはあまりに完成度が高すぎて、いじるところがありませんでした。スロートタブやエルボーパッチ、ポケットのパイピング、裏地と表地の色の連携……。改めてすごいジャケットだと思いますよ。
珍しいカルティエの時計に『フォレスティエール』を合わせた松山さん。袖口が広く、折り返せる仕様のこのジャケットは、時計愛好家にも支持されている。松山さんはコーデュロイのほかにも、『フォレスティエール』の派生だと思われるスーツも所有。パンツの尾錠にアイビーのセンスを感じると笑う。
松山 ぼくもほしいな(笑)。
ラクアアンドシー 松山さんのように往年のアルニスを知るお客様も来られますが、最近はなぜか、若いお客様からの人気も高いんです。それもクラシックではなく、モードブランドを着ているような方々です。彼らは『フォレスティエール』のうんちくよりも、デザインそのものを楽しんでいるようで、着こなしもスニーカーに合わせてしまったり、とてもフリーダムなんですよ。
土屋 それは驚きですね。着る人次第なんでしょうが……。ぼくがこれを着るなら、やっぱりドレスとカジュアルの中間、といったスタイルを楽しみたいですね。あえてブラックのフレアパンツや靴と合わせたりして。
スタイリストの土屋くんが選んだ『オルレアン』は、パープル寄りのブルーにパープルのエルボーパッチ、赤のパイピングを効かせた超個性派。
松山 そのシャツはマルセル・ラサンス? 28歳とは思えないね(笑)。
というわけで、アルニスの『フォレスティエール』を着た松山さんと、ラクアアンドシーの『オルレアン』を着た土屋くんを撮影させてもらったが、世代やテイストは異なれど、改めて〝ぼくのおじさんジャケット〟としての実力を思い知らされた次第。「ぼくのおじさん」はこれからも『フォレスティエール』とそのDNAに注目し、研究を進めていくつもり。そしてゆくゆくは、オリジナルや別注アイテムもつくっちゃうかも……!? ぜひこれからも、注目してほしい!
1946年京都生まれ。1960年代後半から70年代前半にかけて、ザ・フォーク・クルセダーズやサディスティック・ミカ・バンドなどの作詞を手がけたのち、雑誌編集者に転身。『POPEYE』や『BRUTUS』の創刊に携わり、ファッションや旅行、カメラ、機械式時計といった文化の仕掛け人として、今も活躍し続ける。
1993年東京生まれ。雑誌やウェブメディアを中心に活躍する、若手スタイリスト。ラグジュアリーブランドから古着、トラッドに至るまで、20代とは思えないマニアックや趣味や知識をもつ注目株だ。