ジェイエムウエストンに
留学した
日本の若き靴職人が
そこで見たこと、
学んだことって?
前編・庵憲人さんの場合
撮影・文/山下英介
ぼくたちの憧れの靴ブランドであるジェイエムウエストンは、クラフツマンシップの振興と継承を目的とする財団(J.M. Weston Foundation)を運営している。近年は「ジェイエムウエストン・ファンデーションアワード」と題した、フランスと日本の若い靴職人の交換留学プログラムを実施しているのだとか。「ぼくのおじさん」は、このアワードに選出されて2024年9月にフランス・リモージュにあるジェイエムウエストンの工場に留学した、ふたりの日本人職人さんに取材をさせてもらった。現地で1ヶ月働いてわかった、ジェイエムウエストンのすごさって? そして彼らはその経験を生かして、これからどんな活動をしていくんだろう? まずは整形靴づくりを学んだ職人にして現在はスニーカー製造メーカーに勤める、庵憲人(いほりけんと)さんのインタビューから!
靴づくりのきっかけは
コロナ禍だった!
ジェイエムウエストン財団の活動の詳細はこちら!
庵さんは1995年生まれとのことですが、昔から靴づくりの修行をされていたんですか?
庵憲人 いや、靴をつくり始めたのはコロナ禍になってからです。
えっ、最近じゃないですか(笑)。じゃあそれまでは何をされていたんですか?
庵 普通の四年制大学を卒業したのちに、新卒で宝塚歌劇団を運営する会社に入社したんです。歌劇団の衣装やドレスを展示して、皆さんにそのすごさを知ってもらうようなイベントをディレクションしていました。
全く靴づくりとは畑違いの仕事ですね(笑)。
庵 いや、そうでもないんです。歌劇団の裏方の世界は職人技の宝庫ですから、ものづくりの魅力を間近で見ては感動していました。
確かに舞台衣装の世界はすごいらしいですね。
庵 仕事はとても充実していたし忙しかったのですが、コロナ禍によって在宅勤務を強いられたことで、ちょっと時間が取れるようになりました。そこで新しいことをやってみようと思って、神戸の靴づくり教室に通い出したという。
それで職人の世界に転身したんですね!
庵 いや、最初はあくまで休日の趣味でした。ただそこに教えに来ていた先生が整形靴の職人さんで、兵庫県にその専門学校(神戸医療福祉専門学校三田校の整形靴科)があることを教えてくれたんです。そこにはオーストリア人のマイスター(エドワルド・ヘルプストさん)がいて、整形靴のノウハウを使って足の悪い人でも履けるお洒落な靴のつくり方を教えていました。ぼくはその世界に感銘を受けて、仕事を辞めて専門学校に通うようになったんです。生徒が集まらずに今年で閉校してしまったのですが、ぼくはそこで足の知識や解剖学から靴づくりの知識までを学びました。
それは思い切りましたね〜!
庵 靴づくり教室に通っていた頃に、お客さんとして付き合いのあった修理職人さんがいたんですが、彼にも技術を叩き込まれました。「靴で食べていくのは大変だから、半端な気持ちだったらやめた方がいい」と忠告されたんですが、ぼくは不思議と靴づくりの作業に没頭している間だけは、他のことが考えられないくらい没頭できたんです。そして納品したときのお客さんが喜ぶ顔が、大きなモチベーションにもなる。「これはやるしかないな、これなら続けていけるな」と確信しました。
つくるのが楽しいっていうのもあると思いますが、社会人になってから靴づくりを始めて数年で技術的にできちゃったというのもすごいですよね。今年の春に専門学校を卒業して、今はメーカーで設計開発担当・・・。「なんか俺、すごいな」みたいなふうに思ったりしませんか(笑)?
庵 できるなと思ったことは・・・ありますね(笑)。子供の頃から器用でしたし、どうやったらもっときれいにつくれるかみたいなことを研究するのも好きでしたから。本当は自信のない性格なんですが、修理の師匠にもオーストリア人のマイスターにも褒めてもらったので、それは励みになったかな。
どうして庵さんが
アワードに選出されたのか?
今回のジェイエムウエストンでのインターンシップは、ご自分で応募されたんですか?
庵 たまたまネットで見つけた情報にピンときて、ホームページから締切の前日に応募しました。
これってどういう選考システムなんですか?
J.M. WESTON 書類選考と2回の面接を経て、最終的には社内の協議によって選ばれます。
庵さんの合格の理由ってなんですか?
J.M. WESTON このプログラムの目的を深くご理解されていることと、つくられている作品のクオリティの高さですね。やっぱりフランスにタダで行けるみたいなノリでは困るので(笑)。あとは海外の文化に対する順応性も大切です。1ヶ月フランスで生活することになるので、工場の人たちとコミュニケーションできないと辛いでしょうから。その点でも庵さんは合いそうだなという。
庵 大学時代に短期留学していたこともありましたし、英語も話せましたから。
ジェイエムウエストンについてはもともとどんな印象をお持ちだったんですか?
庵 憧れのブランドでしたね。自分が靴をつくる上でも参考にしていましたし。このプログラムなら自分の経験にもなる上、今後やりたいことに活かせるかなという思いがありました。
J.M. WESTON 庵さんはビスポークの職人というよりは、メーカーの中で働くことでいい靴をより多くの人に履いてもらいたいという目標をお持ちでした。そういったところも弊社のフィロソフィーと合うだろうな、とは思いましたね。
庵 ぼくの周りで靴づくりしている仲間は、やはりビスポーク志向の人が圧倒的に多いんです。ぼくもそれは好きなんですが、やはり自分自身は少しでも多くの人に履いてもらえる靴がつくりたい。さらにブランド哲学やこだわりがあったら最高です。そうした意味でジェイエムウエストンは、量産性とクオリティとのバランスが理想的ですよね。
今はスニーカーの会社で働かれているんですよね?
庵 ぼくは革靴が大好きなんですが、今世の中で圧倒的に履かれているのはスニーカーですよね。そこでスニーカーが売れる理由や、そのものづくりにおけるノウハウを習得したかったというのが大きな理由です。
ジェイエムウエストンの
ものづくり哲学に触れて
庵さん、なんだか大物になりそうな気配が漂ってます・・・(笑)! そして会社にお休みをもらって、フランスはリモージュにあるジェイエムウエストンの工場で1ヶ月働かれたというわけですよね?
庵 街の中心部にあるアパートに住ませてもらい、郊外にある工場にはバスで通いました。
もちろん海外の工場で働くのなんて初めてですよね?
庵 そうですね。現在の会社も工場生産なので、理解できる部分もありました。ただジェイエムウエストンの工場はものすごく広いので、その生産ラインや使っている機械は全く別物ですよね。このくらいの規模でこのくらいの生産数だと、どのくらいのペースでつくられることになるのか、という点はすごく勉強になりました。
ずっと付いてくれる人や通訳さんがいたんですか?
庵 そういう感じではなかったですね。「今日はミシンのところに行ってね」と言われたらそこで仕事する、みたいな。工場は当然フランス語が中心なので、身振り手振りとGoogle翻訳でなんとか頑張りました(笑)。でも靴のことだから、言葉が通じなくても伝わる部分はあるんですよね。
J.M. WESTON 4週間の中で靴づくりの工程をひと通り体験してもらうために、工場長がプログラムを組むんです。
日本の工場での靴づくりとはまた違う世界なんですかね?
庵 日本の靴づくりって完全に分業化されていて、だいたい工程ごとに工場が別れているんですね。その点ジェイエムウエストンは、もちろん分業ではあるのですが、ひとつの工場で裁断から仕上げ、出荷までやっています。同じ会社の中でやっているからこそ、効率化されている部分も多いし、職人さんが自分の持ち場以外の工程をよく理解している。もちろんそれには規模の大きさが必要なんですが。
写真を見ると、とてもクリーンで広々とした工場ですよね。
庵 靴づくりの工場って刃物や化学薬品を使うので、意外と危険なんですが、ジェイエムウエストンの工場は敷地が広いので通路も作業スペースも広く、安全面はすごく考えられていましたね。また、工場内は光がよく入っていつも明るいし、休憩のときは職人さんたちが大きな中庭でのびのび過ごしています。そういうヨーロッパらしさ、フランスらしさを大切にした環境が、つくられる靴にも影響しているのかなって思いました。ジェイエムウエストンの靴って、どこか遊び心がありますからね。ぼくとしてはそこに一番グッときました。
勤務時間はどんな感じなんですか?
庵 8時15分から16時までです。午前中のコーヒーブレイクは15分で、お昼休憩は45分。食堂ではフランスの家庭料理や郷土料理が日替わりで並んで、好きなものを選べます。数年前まではワインも出たらしいです(笑)。
確かフランスは週の労働時間が35時間以内だから、1日きっかり7時間勤務というわけですね。しかしワインとは、日本では考えられない環境だなあ(笑)! ちなみに靴好きとして気になった工程はどこでしたか?
庵 やっぱり吊り込みでしょうか。吊り込みって靴の形を決める最も大切な工程だと思うんですが、当然ジェイエムウエストンは量産の工場だから、ほかの工場と同じく機械を使って吊り込んでいます。でも、ここの工場は吊り込みのセクションにものすごくたくさんの職人がいて、機械と機械の間に多くの人の手が入っているんですよ。だからこそジェイエムウエストンの靴はフォルムが美しくて、隙がないんだと思います。
やっぱり綺麗ですよねえ。
庵 革を1枚ずつ見極めて吊り込むのは手間がかかりますが、それさえできれば底付けだってきれいにできます。全部その後の工程に繋がっていると思うので。職人さんは吊り込みの工程を「モンタージュ」と呼んでいましたが、その部署は全員屈強な男性でした(笑)。
やっぱり力が要るんですね(笑)。ジェイエムウエストンといえば革の質の高さも魅力ですが、そこにも秘密があるんですか?
庵 大きな1枚の革を広げて見極めながら、どこにどのパーツを配置するかという判断をすごく入念に、贅沢にやっていました。現場の担当者に「きみはどうする」と聞かれて、「ここにXXを配置します」と言ったら「でもそれだと靴にしたときこの部分に不具合が出るよね」みたいなことを教えてもらいましたが、ジェイエムウエストンには各セクションにそうした熟練の職人さんがおられましたね。
うーん、幻想が高まるなあ! しかし工場が4時で終わるとなると、アフターファイブも楽しめますよね(笑)?
庵 勤務後は職人さんが飲みに連れて行ってくれたり、いっしょにペタンクで遊んでました。
ペタンクっておじいちゃんがやるスポーツじゃないんですか?
庵 いや、リモージュではぜんぜん若い人もやってましたよ(笑)。家は街中にあったのでカフェに行ったり買い物したり、毎日退屈せずに過ごせました。フランス語も多少話せるようになったし。
肩の力を抜いたものづくりに
遊び心が宿る
フランス生活をエンジョイされたわけですね。それで最後につくられた卒業制作的な靴がこれですか?
庵 はい。722というジョッパーブーツをベースに、職人さんからアドバイスをもらいながらつくりました。
ベルトやバックルの色にアクセントを加えているんですね。
庵 このアンティークゴールドのバックルは職人さんが「こんなのもあるよ」って、引き出しから出してくれました(笑)。普段は使っていないみたいです。ソールのイニシャルも自分で入れています。
これ、ご自分で履くんですか?
庵 いつかは履くと思いますが、しばらくは飾っておこうかと思っています(笑)。
この靴に点数をつけるとしたら?
庵 100点です。技術的な意味ではなくて、自分があそこにいた1ヶ月の経験や思い出がすべて詰まった靴なので。
フランスに行く前と後で変わったことってありますか?
庵 製靴技術が向上したり、知識が増えたことはもちろんなんですが、一番ためになったのはこだわりと品質とスピードとのバランスの取り方でしょうか。これは言い方がとても難しいんですが、決して手を抜くという意味ではないですよ!
わかります。工場で靴をつくる上では大切なことですよね。
庵 こだわる部分はこだわって、でも無駄なこだわりはよくないし、働き方にもメリハリは必要だし・・・。そうしたバランスを取りながら、いい靴をつくっていけたらいいですよね。自分はもともと考えすぎるタイプで、独りよがりになりがちな面もあったんです。それがジェイエムウエストンの靴づくりや、そこで働く職人さんたちの人柄にも触れて、もっと肩の力を抜いた自由な靴づくりがあるんじゃないかと思えるようになりました。それが一番大きかったかな。
世の中的には靴業界が下火になりつつあるという現実はありますが、まだまだ一般の人が革靴に求めていることって多いんじゃないかと思うんです。だからそうしたニーズを掘り起こして、自分がジェイエムウエストンから学んだ知識や経験と組み合わせることで、今までにない靴をつくりたい。そして多くの人に届けたい。そんなふうに考えています。
後編はこちら!
- J.M. Weston Foundation
日本とフランスの靴職人交換留学プロジェクト「ジェイエムウエストン ファンデーションアワード」の次回開催に関しては、まだ詳細は未定です。ホームページなどで随時情報をアップデートしているので、ご確認ください。