今、わたしたちは
どう生きるべきか?
クリノ先生とミノリさんの
お洒落と社会学入門
インタビュアー/ミノリ
撮影/古江優生
ぼくたち、わたしたちの視点を通して世の中のあり方を考える、新しい連載。その第2回目は、大学で社会学を学ぶ傍ら、モデルとしても活動するミノリさんが登場。最近とても気になっているという、ファッションと社会との関わりについての疑問を、尊敬する栗野宏文さんにぶつけてもらった。半世紀近くにわたって、洋服を通じてよりよい社会の実現を目指してきたおじさんは、わたしたちにどんなことを教えてくれるのかな?
伝統的なファッションを
どう捉えればいいの?
栗野さん、今日は「ぼくのおじさん」のアトリエにお越しいただきありがとうございます。今日お話ししてもらうミノリさんは大学で社会学を学びつつ、ライターやモデルとしても活動されているという、今回のテーマにぴったりの方なんです。今日は栗野さんに色々と聞きたいことがあるんだよね?
ミノリ わたしはもう大学4年生なんですが、コロナ禍のなかでモデル活動やライターのアルバイトを始めたことで、いろんなことに興味が湧いてきたんです。
栗野 そうですか。ぼくもこのコロナ禍をきっかけに、久しぶりにたくさんの本を読みました。社会学と哲学、そして歴史書が多かったかな。だからミノリさんの関心と共通するところがあるかもしれませんね。ミノリさんは普段、どんな勉強をしているんですか?
ミノリ ゼミなどで性の歴史について学んでいます。ミシェル・フーコーとか。たとえば明治時代初期の日本社会にヨーロッパ的価値観が浸透することによって、いかに裸というものが性的な存在になってきたとか、そういう時代のことを勉強しています。
栗野 面白いね。
ミノリ でもフーコーはとても難しくて、先生の解説がないとなかなか読めないです。
栗野 あれをそのまま読むのは難しいですよ(笑)。でもそれは社会学とか哲学の問題点で、もともと難しいものをさらに難しくしてハクをつける、みたいなことがおきがちなんです。だったらぜひ、哲学者の千葉雅也さんの『現代思想入門』を読んでみてください。確かフーコーの話も入っているし。千葉雅也さんという方は、難しいことをわかりやすい言葉にできる稀有な人だと思います。彼はファッションやサブカルチャーも好きで、コム・デ・ギャルソンとか風営法のダンス規制などにまつわる寄稿もされているから、ご自身の勉強に取り入れられるんじゃないですか?
ミノリ 絶対に読みます! わたしはファッションについてはそれほど詳しいわけではないのですが、フェミニズムについて学ぶ上では、とても深く関わってくるテーマだったことに最近気づいたんです。纏足(てんそく)とかコルセットなんて、その象徴的なテーマですよね。
栗野 そうですね。
ミノリ 現代では〝女の子らしい〟とか〝男らしい〟みたいな言葉もNGワードに近くなっています。そうなると、レースとかフリルとか、男性のかっこいいスーツとかを、どう捉えればいいのか、わからなくなってきて。そういう時代の中で、伝統的に培われてきた男女のファッションって、これからどうなっていくんでしょうか?
栗野 伝統工芸のようなもの。クラフツマンシップ。それから社会における男女のあり方。あとは美学ですか。そういうものはいったん分けて考える時代ですよね。ぼくはつい先週、鈴木正文さんという大変物知りな編集者と対談したんです。
「ぼくのおじさん」にもご登場いただいております(笑)。
栗野 その日は最近のモデルさんって体型が変わりましたね、という話が主軸だったんです。そこで鈴木さんが仰ったのは、1930年代以降西洋から世界中にモダニズムという概念が広まっていく中で、人体というものが平均化されていく。そして今度は、戦争のために頑丈なからだであるべきとか、贅肉は不要みたいな考えが、お国のためによしとされる。つまり、肉体そのものが国家に取り込まれるわけです。それは近代産業とも資本主義とも言い換えられますよね。
肉体が国家に取り込まれる!
栗野 モダニズムの時代から、プレタポルテの発展とともに、ファッションは〝モード的身体〟を目指しました。日本人の場合、極端に言えば冨永愛さんみたいな八頭身のスタイルにみんなが憧れて、獲得するところまで近づいたんです。でも最近は、そういう〝モード的身体〟から解放されて、〝個別的身体〟という概念にたどり着いたというか。ひとつの理想をみんなが目指した時代から、たとえば渡辺直美さんみたいなふくよかなからだも素敵だなって思えるようになった、と。そういう潮流と、LBGTQのムーブメントが自然につながってきたというのが、今の時代では?
ミノリ わたしも身長153㎝でモデルとしては小さいので、とてもよくわかります。
栗野 ただ、別に今、コルセットをつける人がいてもいいんですよ。それが男の側や権力側が押し付けた勝手なロジックによるものでなければ。
ミノリ 全く違う文脈としてなら残ってもいい、ということですね。
栗野 まあ纏足の技術を残したい人はいないだろうけど、たとえばコルセットの技術を残したいというときに、その卓越した技術と、元々それらが担ってきた意味とは切り離す。そうやってひとつの伝統工芸として残す道ならばあるだろうとは思います。逆に言うと、フェミニズム的観点からコルセットそのものが罪だという話になってしまうと、すみませんとしか言いようがないですよね。でもそれをやり続けると、いろいろな文化を殺してしまうことにつながる。たとえばサヴィル・ロウのオーダースーツはもともと貴族や上流階級のためのものだから、あんなものは滅びていいというロジックにつながりかねない。
ミノリ 確かにそれは困りますね(笑)。
栗野 実はこの間、3年ぶりのロンドンでたくさんの美術館を見てきたんですが、なかでも印象に残ったのが、バービカン・アートセンターで開催されていたキャロリー・シニーマンという女性の回顧展だったんです。知ってますか?
ミノリ 知らなかったです。
栗野 彼女は1939年に生まれ、2019年に亡くなった前衛芸術家で、元祖フェミニストとも呼ばれた女性です。その題材はほぼ自分で、ペンキを裸体に塗りたくってキャンバスの上を這い回ったり、パートナーとメイクラブするシーンを撮ったりする。つまり彼女は作家であると同時に、作品でもあるわけです。
かなり過激ですね。
栗野 彼女がそういう方向性に向かった理由もまた面白い。彼女が美大に入った1950年代は、まだアートシーンや学校の世界は保守的で、ヌード作品の制作すらままならなかった。学校の中にヌードモデルを立ち入らせることは許さんという時代だったようです。だから彼女は自分のヌードを描くしかなかった。そこで彼女は気付いた。政治的な肉体、肉体的な政治に対して、わたしの肉体を支配すべきなのはわたしである。わたしのからだこそが、誰にも侵されることのない唯一無二の存在、最後の砦なんだと。
まさに現代のフェミニズムの考え方ですね。
栗野 彼女の存在は、1960年代から70年代における性の解放運動とリンクして、大いに賛否両論を巻き起こしました。ただ今回の回顧展では、当時反響のあったパートナーとのメイクラブシーンのフィルムなども公開されたのですが、それらは結果として全くポルノではなかった。性行為そのものは、ここでは問題にされない。
シーンが成熟したロンドンならではの受け止められ方だなあ。
栗野 彼女は2019年にがんで亡くなったのですが、最後は高度医療を拒否して旅立ちました。なぜなら〝わたしのからだだから〟。
ミノリ すごい。彼女の作品にファッションに関連するものはあったんですか?
栗野 ファッションはないですね。彼女がもうちょっと後に生まれたら、それを表現に取り入れた可能性もありますが。基本的に彼女はファンタジーやロマン性も拒絶した、と解説されていました。
でも、ファッションに関していうとサイズの概念とかメンズ、ウィメンズみたいな考え方もだいぶ薄れてきましたよね。栗野さんはそういう時代についてどうお考えですか?
栗野 何を着たっていいと思いますよ。どうしてもぼくは古い人間だから(フロントの合わせが)右前の服には抵抗があるけれど、今の若い男の子たちは気にせずに着るし、女性はとっくの昔から左前のジャケットを着ていますしね。
ミノリ 古着はよく着ますが、そもそも気にしたことがなかったです(笑)。
栗野 ですよね。だから最終的には着物だけ残ると思います。あれは死装束と繋がっているから。でもコム・デ・ギャルソンがすごいのは、最初から女性のジャケットは左前なんですよね。
そういえばそうですね!
栗野 ブランド名自体が〝少年のように〟という意味だから、そこを意識したのかどうかはわかりませんが、彼女のデザインからは、男性服への憧憬も感じさせますよね。だから男性客にも買ってほしいウィメンズデザイナーにぼくがアドバイスするのは、ジャケットは左前にすること(笑)。
ミノリ こういう時代が来ることを想像されていましたか?
栗野 ぼくは1960年代後半のスウィンギン・ロンドンの時代を通っているから、当時からいわゆるゲイカルチャーへの一種の憧れがあったんです。そして80年代にジャン=ポール・ゴルチエやクロード・モンタナ、ジョルジオ・アルマーニのようなデザイナーが世界を席巻したときに、世の中はファッションから変わっていくんだろうな、と予感しました。ただ、法の整備まで含めて、ここまで変わっていくとは思わなかったですね。
〝生きづらさ〟をなくすために
ファッションができること
先ほどの〝モード的身体〟の話でいうと、153㎝のミノリさんが、いろんなブランドでモデルとして活躍しているのを見ると、世の中は変わったな、と思いますね。
ミノリ そうですね。それでもやっぱりほかの人と自分を較べて、細くなろうと無理なダイエットをしちゃったことはあります。そういうときは、自分のからだなのに自分でコントロールできてないな、って嫌になりました。
栗野 そもそも日本のブランドが女性もののサンプルをつくるときって、想定している身長が約160〜165㎝なんです。つまりサンプルをつくる時点では、153㎝のミノリさんは想定に入っていない。ぼくは45年この仕事をやっていますが、現実としてファッションを支える構造の中で、明らかに最初から疎外されている人体があるといえますね。
ミノリ この身長、いっぱいいるのにって思います。でもわたしが洋服屋さんで接客を受けるとき、「華奢に見えて素敵ですよ〜」とか「絶対にスタイルよく見えますよ」みたいなことをよく言われるんです。それって確かに嬉しいけれど、古い価値観に基づいた言葉ではありますよね。細いほうが美しいという。
栗野 そこにヒエラルキーが生じていますからね。ただ、むかしから肌の色が違うとか、人とからだが違う、ということで差別が生まれてきたわけですが、きれいとかきれいじゃないとかを含めた、見えざる差別のようなものは、徐々に崩れつつあると思いますよ。
青い目のアングロサクソン系モデルばかりを起用していたアバクロンビー&フィッチの広告に代表されるように、つい10年くらい前までのファッション業界は、まさに栗野さんがいうところの〝モード的身体〟が至上とされていましたよね。モデルさんを9頭身にレタッチしちゃったりして(笑)。でも最近は、本当に時代は変わったと思います。
栗野 そうですね。最近はダイバーシティとかポリティカルコレクトネスの概念も浸透してきて、〝Black Lives Matter〟の影響も含めて、アフリカ系のモデルをショーなどに使うことも増えてきました。しかしそれは、本当によしと思ってやっているのか、疑問に思うことも多いんです。グリーンウォッシュ(配慮しているふりをすること)に近いケースも多いと思いますね。
ミノリ 最近、小柄な人や大柄な人向けのブランドも増えてきていますよね。それは嬉しいんですけど、単なるビジネスチャンスだと思われていたら、ちょっと複雑な気持ちです。
栗野 そうですね。またもや資本主義に取り込まれてしまうという。
ファッションビジネスの世界に生きている栗野さんは、やっぱりこれは好機だ!と思うことはあるんですか?
栗野 チャンスとは思わないけれど、ファッションとは誰でも楽しめるものであるべきと思っています。たとえばユナイテッドアローズでは、数年前から「UNITED CREATIONS 041 with UNITED ARROWS LTD.」として、〝いわゆる〟健常者と呼ばれている人と、〝いわゆる〟障がい者と呼ばれている人が同じ服を楽しめたらいいね、っていうプロジェクトに取り組んでいて、ぼくはそのディレクションを担当しました。どうしてもユナイテッドアローズみたいな大きな会社でやるのは難しくて、今のところ中断しているのですが、やってよかったと思いますね。その経過はぼくの本に書いています。ミノリさんは共感するブランドとかショップってあるんですか?
ミノリ スペインのパロマウールは素敵だなって思います。環境や生産における倫理性にすごくこだわっているのに、そのことを前面に押し出していないんですよね。普通にモノとしてかわいい。逆にあまりに押し出してるブランドはちょっと・・・。
栗野 グリーンウォッシュみたいで信用できない(笑)?
ミノリ いや、そこまでではないですが(笑)、多少勉強している身からすると、イメージアップの道具にしているんじゃないかな、とは思います。
栗野 生成分解する素材を使うとか、モノをつくる上で児童の不法就労がないとか、トレ―サビリティがちゃんとしているとか、そのこと自体は絶対に守るべきなのですが、だからといってモノが素敵とは限らないんですよね。やっぱりモノに魅力がないと買いたくないから。逆にコム・デ・ギャルソンがつくる化繊の服なんて5年でも10年でも着られて、なおかつリセールバリューも高いわけだし、そっちのほうが環境に優しいだろうというケースは絶対ありますよ。でも日本人って情緒に流されやすいから、サステナビリティというとデザインも色も穏やかにしなくちゃとか、そういう方向に行きすぎなんですよね。
確かに生成りというだけでサステナビリティっぽく見えますね(笑)。
栗野 やっぱり黄色い服だって着たいじゃないですか(笑)。だからトクシック(有毒)じゃないきれいな服ができれば、一番いいですよね。
ミノリさんは、確か古着屋さんのオーナーで尊敬している人がいるんですよね?
ミノリ 環境や気候変動の問題に対して、積極的なアクションを起こしているeriさんという方なんですが、中目黒でデプトというお店をやっていて。
栗野 ああ、デプトのeriさんですか。デプトは1970年代に彼女のお父さんである永井誠治さんが始めて、大当たりしたんですよね。で、お嬢さんが継ぐことになったんですが、彼女はニュージェネレーションだからお父さんの後追いではなく、世の中がサステナビリティと呼んでいるものにアプローチをした。正しいビジネスですよね。
ミノリ コロナ禍をきっかけに中目黒のお店は営業を停止して、今もオンラインストアだけで営業しているんです(※2023年9月現在。中目黒のショップはポップアップストアやオーダー会などで使われる場合もあり)。
栗野 デプトはもともとアメリカの格好いい古着を売るということからスタートしたお店なんですが、その頃から単に服を服として売るビジネスじゃなくて、カルチャーを発信していました。永井さんは昔から服の背景にある思想とか、社会や自然との関わりにコミットメントし続けて、それを間近で見てきたeriさんは、今の時代を生きている若者としての表現にアップデートさせた。だから50年経っても残っているんでしょうね。
ミノリ 服の背景と仰いましたが、わたしたちの世代って、そういったことへの関心が希薄な人が多いと思うんです。前の世代はもっと興味があったのかなあ。
栗野 ミノリさんのように社会に対して意識を開いている人と、モノに対して意識を開いている人、両方いるのですが、昔はモノだけの人が多かったですね。社会性なんてゼロ(笑)。それに対して今のZ世代と呼ばれている若い子は、教育を受けていることもあって、どの世代よりも環境に対する意識は高いと思います。少し前まではものづくりの背景に関しては気にしない人が多かったと思いますが、最近は再び関心が高まっているような気はしますよ。
30年前は、高価な洋服を着てタバコをポイ捨てするような人はざらにいましたからね(笑)。ミノリさんは気にしているんですか?
ミノリ わりと気にしてますね。どうゴミを減らすかいつも考えています。
そんな人、我々のまわりにはいなかったなあ(笑)。
栗野 ただ、環境問題に対する意識や疑問の投げかけは、昔からあったんです。1962年にアメリカ人海洋学者のレイチェル・カーソンが『沈黙の春』という本で農薬汚染を警告したのですが、ぼくのようなヒッピー世代やポパイ世代には、すでによく知られていましたよ。
まだ世の中イケイケの時代ですよね。
栗野 その時代の真っ只中に、彼女はこれはまずいんじゃないか、と気がついちゃった。
ミノリ そうなんですね。でもわたしの周りには、Instagramで流行ってるし安いから買おう、みたいな子が多いような気がしていて。SHEINとかで買っている子もちょいちょいいて、生地がペラペラでも可愛ければ買って、結局何回か着て、飽きたら捨てちゃう。それが一番ひどいような気がします。
栗野 残念ですよね。SDGsリテラシーに関しては中国は後発です。ただ、日本は結果的にファストファッションが流行らなかった国なんです。
ミノリ そうなんですか?
栗野 H&MやTOPSHOPが原宿から消えたことが証明しているように、飽きたら捨てるという考え方は、日本人にはあまり浸透しなかった。いっときSHEINみたいなブランドが流行っても、その子たちは次に古着に行くようになる。多くの古着は品質にレヴェルが有る。そうじゃないと残らないから。そうなると、ファストファッションを買っていた子ですらハリスツイードとかデニムみたいなモノの価値に気づきだす。それが今の古着ブームを支えているし、その子たちがセレクトショップなどに通うようになれば、服の背景にだって興味を持つようになる。あまり好きな言葉じゃないけれど、そういう〝意識高い〟若者たちが日本のファッションを下支えしているのでは?
ミノリ 栗野さんの中で、日本と海外の若い世代の間には、違いって感じますか?
栗野 ファストファッションを買ったり街で騒いだり、一見するといっしょですよね。でもちょっと違うのは、日本の場合おじいちゃんおばあちゃんを尊敬したり、お正月は帰省してみんなと過ごすとか、まだ世代間がつながっている感じはしますよね。前の世代に対するリスペクトも残っているし。今さえよければいいという刹那的な文化はあまり感じないかな。
意外と捨てたものではないと。
栗野 そうですね。だからそういう大学生とか高校生の間から次なるムーブメントが生まれるような気がしています。ぼくは「ここの学校」というファッションクリエイションの学校を手伝っているのですが面白いですよ。拾ったゴミからものづくりするような子がいても、決してそれだけが目的になっていないというか。
ミノリ モノとしてもかっこいいわけですね。ただわたしのまわりを見ていると、まだ全然だなって思いますし、生きづらい人たちはまだたくさんいると思います。
栗野 大きな視点でいうとそうだと思います。でも、最近は東京でもロンドンでも、脱中央というか小さな街に若者たちが移り住んで、そのオーガニックなコミュニティの中から、新しい文化が生まれつつもあります。健康や環境に配慮したカフェやパン屋さんとかね。で、そのコミュニティでのつながりによって、また新しいイベントが発生したり。パリではそういうムーブメントはあまり感じなかったかな。ミノリさんは今どこに住んでいるんですか?
ミノリ 杉並区の●●です。
栗野 そうですか。いいところですね。この間杉並区には、女性の市長が誕生しましたよね。あの方は草の根運動で当選して、自転車に乗って登庁していますが、東京でもようやくああいうことが起こるようになったわけだし、なかなか面白いと思いますよ。
ミノリ ロンドンの人たちは、環境に対する意識はもとから高かったんですか?
栗野 もともと自然を愛する国民性だから、環境保護や動物愛護運動は早かったのでしょう。ただ、もとを辿れば南アフリカやインドに代表される旧植民地の人々を、奴隷にしたり迫害していたのはイギリス人です。今のイギリスやドイツやオランダを見ると国的に見習わなくては、と思うけれど、歴史上では悪いこともたくさんやっている。だから、わたしたちも含めて、誰の手も汚れてないなんてことはないんですよ。
ミノリ 確かにおっしゃる通りですね。
女性たちがリードする
食とサステナビリティ
栗野 ミノリさんはどうして社会学を勉強しようと思ったんですか?
ミノリ 最初は自分の進路が決められないとか数字に弱いとか(笑)、そういう理由だったんですが、始めてみてどんどん面白くなっていった感じですね。あとはeriさんをはじめ、Instagramを通して同性の発信者たちに影響を受けたことも大きいです。
栗野 モデルの鎌田安里紗さんとか? 彼女とはファッション・フロンティア・プログラム(FFP)というサステナビリティを考えながらファッションを創造する人を育てようというプライズで、一緒に審査員をやりました。特に女性でそういう活動をする人が増えていますよね。
ミノリ もちろん彼女はフォローしていますが、確かに女性の活躍は実感しますね。
栗野 やっぱり女性は将来的に子供を産む可能性がありますから。もちろん男性もそうなんですけど。そこに直面したとき、食べるものやそれがつくられる環境が、とても切実なものに思えてくるのでしょう。
ミノリ 確かに。あとは女性の場合、美容という入口もありますし。
栗野 それはありますね。ミノリさんも食に気を付けているんですか?
ミノリ スーパーでお肉を買って料理するっていうのは、しなくなりましたね。あとはファストフードは食べなくなりました。
栗野 でも買い物はスーパーでするの?
ミノリ そうなんです。野菜はいいものを買いたいんですが、まだ学生なのでどうしても値段が・・・(笑)。
栗野 我が家はなるべく八百屋さんとか自然食品のお店で、無農薬野菜を買うようにしています。別にナチュラリストというわけではありませんが、なるべくからだに悪いものを食べたくないから。オーガニックだったら皮まで食べられるし、葉っぱだってふりかけになったりする。だから我が家に来たお客さんはゴミが少なくて驚くんです。場合によって安全な食材の価格はちょっと高いですが、最近は週末に農業をやっている人も増えてきたし、そういう人に分けてもらうという手もありますよね。
ミノリ 父が畑をやっているので、たまに送ってもらったりします。
栗野 まさにそれですよ。
栗野さんの若々しさは、やっぱり食べているもののおかげなんですかね? だって1953年生まれとはととても思えません!
栗野 若いかどうかはさておき、今年の春にコロナに感染してもごく軽症ですんだのは、そのおかげだと思いますよ。
ミノリ ファッション業界の方々は、やっぱり食事とかにもこだわっているんですかね?
栗野 そうとも言えるのですが、ファッションの違いと同じでA5の肉とどこそこのワインじゃないと、みたいなグルメ派もいるわけです。自分の場合はからだにいいもの、有害でないものを食べたい、という価値観なので、そこはちょっと違うかな。
ミノリ あとはファッション業界の人はマイボトルを持っていたりして、意識が高いなって。
栗野 それも見ようによってはちょっと薄っぺらいけど・・・(笑)。
ミノリ 確かにそうなんですけど(笑)、ファッションだとしても意識を持つ人が増えれば、結果的にはいいのかなって。
栗野 ポージングだとしても悪いことではないですよね。ただあの問題は根深いんです。だからまずは、飲料メーカーが生分解するペットボトルをもっと出したり、大きな企業がペットボトルを禁止するようなところから始めるべきですね。たとえばカシミアで有名なロロ・ピアーナの本社ではペットボトルの持ち込みが一切禁止されていますが、その代わり社内にはちゃんとミネラルウォーターのサーバーが用意されている。ちなみにユナイテッドアローズの社内でもペットボトルは売っていません。まあ、その程度じゃ地球は救えないけれど、やらないよりはましですから。
ミノリ そういえばたまたまビームスの本社に行ったときにもらった水も、ペットボトルじゃなかったです。
栗野 大勢の人にものを買っていただく我々のような会社は、世の中のことをちゃんと考えていないと、許されませんからね。
ぼくたちの世代って、自分の個人的な満足のために豊かな衣食住を追求してきたけれど、今はそういう時代じゃないんでしょうね。
栗野 自分がどんなに豊かな暮らしをしていても、世の中に害悪を撒き散らしたり、道端にはすごく困っている人がいたりしたら、誰も幸せじゃないってことですよね。
答えはひとつじゃない!
誰かに取り込まれないために
栗野 ミノリさんは、今チェックするメディアとかはあるんですか?
ミノリ いや、どうしてもInstagram中心になっちゃいますね。あとはPinterestとか。Instagramを見ているとわたし好みの商品がたくさん出てきて、買い物に行く手間もいらないじゃんって思うこともあるんですが。
栗野 それって便利な反面、ある意味あなたの嗜好性は資本主義システムに取り込まれているわけですよね。
ミノリ そうですね。
栗野 ソーシャルメディアを否定するつもりはありませんが、アルゴリズムというものには気を付けなくてはいけない。まともに生きよう、ちゃんとしたものを着よう、食べよう。そう思えば思うほど、そこにつけ込んできてお金を使わせたがる人が絶対にいるから。
ミノリ 実際環境問題を勉強したとき、最終的には全部ビジネスにつながっていることに気付いたんです。そうすると、これからどうすればいいのかわからなくなっちゃう(笑)。
栗野 いや、だから結局大切なのは、答えはひとつじゃないってことでは。答えがひとつだと思えば思うほど、自分を否定することにつながるし、それは一種のファシズムですから。迷っているという状態はとてもいいことで、〝迷っている自分〟という存在もあり得る訳です。だから無理に答えを探そうとしなくていい。そのほうが誰かに取り込まれないから。
ミノリ それでいいんでしょうか?
栗野 たとえば電気自動車の電池に使われるリチウムを掘る人々は、有害物質に囲まれた劣悪な環境の中で低賃金で働いています。そして健康食品と言われているアボカドの農家さんは貧しくてアボカドなんて食べられないし、あれはたくさんの水を必要とするから、多くの農地を枯渇させている。誰かが健康で安全な暮らしを享受している一方で、それを提供している側は多くの問題を抱えているんですよね。そういうことまで考えて行動しないと、環境問題とか貧困問題は解決しません。だから答えはひとつじゃない。行動しながら考えなくてはいけない。ミノリさんは、斎藤幸平さんの『人新生の「資本論」』は読みましたか?
ミノリ いえ。今日1日で読まなくちゃいけない本がたくさん増えました(笑)。
栗野 彼は環境経済学の学者さんで、地球上にもともとあった自然物よりも、人間がつくり出したもののほうが増えてしまった世の中のことを〝人新生〟と規定することを教えてくれました。そして、先進国で暮らす我々が果たすべき役割についても示唆してくれているんです。千葉雅也さんの本と併せて読んだら、相当ミノリさんの勉強には役立つと思います。
ミノリ ありがとうございます!
2020年に出版された『モード後の世界』もそうですが、栗野さんの最近の活動って、ぼくたちにとってたくさんの〝気づき〟に溢れていますよね。
栗野 来年70歳になるぼくができることって、よりよい社会をつくるためにどうしたら良いのだろうという問いを投げかけたり、ヒントを示したり、そして場合によってはお手伝いすることだろうと思っています。これからの世界の主体者であるミノリさんたちのジェネレーションが、よりよい世界をつくれるようにね。でも〝後は任せるから〟なんてことは言いません。そういう丸投げはしませんから(笑)。
栗野さんとお話しして
まず何より栗野さんとお話していて、わたしのファッションへの捉え方が広がりました。今までのわたしにとってファッションはただの娯楽。服にお金を使うとき、罪悪感がありました。多分、おしゃれをすることが自分自身を磨くものではなく、外面をただ飾り立てるものだと感じていたからです。
ですが今の時代は人と違うことが重要、というお話をして、ファッションは「自分はこういうことに関心がある」ということを一番表現できるものだと感じました。その佇まいが素敵だと思ってもらえたら、自分自身にも興味を持ってもらえそうです。自分の魅力をもっと引き出すものとして、ファッションを楽しんでいいんだ!とこれから前向きに服を選ぶことができそうです。
でもなにより、栗野さんのような素敵な方がお洒落だと、わたしのお洒落欲も刺激されるのです。
次に、流行っているものや新しいものを追いかけることの意味について考えました。わたしは、洋服、家具・雑貨、本、聞く音楽・・・古いものを選びがちです。「今まで残ってきたのだから、これは間違いない」というのが選択するときの決め手のひとつで、そのやり方が嫌いじゃなかったのですが、栗野さんとお話ししていて、「わたし、もしかして今のことを知るのをさぼってるんじゃないか!?」という疑念が沸いてきました。
栗野さんは今の社会のこと、たとえばInstagramの流行りから、環境の問題まで最新のことを知ってらっしゃいました。そしてこれは栗野さんの著書『モード後の世界』を拝読して知ったことですが、毎日新聞をチェックし、時代の流れをキャッチして世の中では何が求められるのか?考えるそうです。最新の服や音楽、文章に触れることはそれらを通して社会を様々な視点で見ることができるし、自分も含めたみんながどんなことを求めているのか知る機会になる。最新のものに触れること、ミーハーになるのが嫌だからと避けないで挑戦してみようと思えました。新しい考えを持った人に出会えそう。ワクワク!
栗野さんとは環境問題についてもお話ししました。「正解はひとつじゃないんだよね」。栗野さんとの会話で、救われたと思う言葉でもあり、もどかしいと思う言葉でもありました。環境問題の話題で、何を選択するか、正解はひとつじゃないとおっしゃっていました。たとえば電気自動車。環境への負荷を軽減する代わりに、電池に必要な鉱物を採集する現場では労働環境が犠牲になっているそうです。
色んな角度から物事を知った上で検討していくと、色んな正解が見えるし、色んな犠牲も見えてくる。選択肢を増やすためにも、色んな立場で物事を知って、考えることをあきらめちゃいけないと思わされました。身近に自分の選択が試されるのは、ものを買う時だと思うんです。迷いながら、一番自分が納得できる選択ができたらいいなと思います。次にわたしが買うものは何かな・・・。
わたしはファッション業界に深くコミットしている訳でも、何かの分野ですごく専門知識があるわけでもありません。未熟なわたしに栗野さんは〝次の世代に何か残せるように〟とたくさんのことを丁寧に教えてくださいました。本当に貴重で、自分の中で大切な時間になりました。栗野さん、本当にありがとうございました。
ミノリ
ユナイテッドアローズ上級顧問/クリエイティブディレクション担当。
1953年ニューヨーク生まれ。和光大学の人文学部芸術学科を卒業後、ファッションの道へ。ビームスを経てユナイテッドアローズの創業に参画。同社を国内最大のセレクトショップへと育て上げる。現在は上記役職に加え、カルーゾなどを手掛けるユマノスのアドバイザーを手掛けるほか、ジャーナリストとしても活動。英国王立大学院から名誉フェローを授与されたり、LVMH PRIZEの外部審査員、アントワープ王立芸術アカデミーの卒業審査員を任せられるなど、その影響力は世界に及んでいる。