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「江口時計店」
店主と語る!
カルティエの黎明期と
機械式時計の
本当の価値って?
撮影・文/山下英介
ここ20年以上、主張の強いオジサンたちの間では、いわゆる〝デカ厚〟時計が支持されているけど、ぼくたちが気になるのはそういうのじゃなくて、クラシックなスーツや古着に似合う、上品な小振りのドレスウォッチ。でももはや新作ではほとんど存在しないから、結局ヴィンテージで手に入れるしかないんだよね。そして、その中でも最近人気が高まっている大本命が、カルティエの『タンク』。もちろん我らが所長、松山猛さんも長年愛用している名品だ。今回は、そんな静かなるブームの火付け役として知られる「江口時計店」店主の江口大介さんと、『タンク』をはじめとするヴィンテージドレスウォッチの魅力について語り合ってもらった!
目利きもうなる!
松山さんの秘蔵コレクション
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江口大介 今日は機械式時計界のレジェンドとお会いできて光栄です!
松山猛 ぼくも「江口時計店」さんの噂は聞いていたので、初めてお伺いできてよかったです。このお店はいつできたの?
江口 私はもともと古着からこのビジネスを始めたのですが、30歳くらいからヴィンテージのドレスウォッチを集めるようになって、2016年にこのお店をオープンしました。その後修理工房も併設して。
江口時計店さんはカルティエの名品『タンク』ブームの火付け役として知られているんですよね。実は松山さんのコレクションをぜひ見てみたいと仰るので、せっかくなので企画にしちゃおうと(笑)。
松山 そうですか。ぼくとしては、最近カルティエの時計がようやくちゃんと認められてきたように思えて、とても嬉しいですよ。じゃあ、早速ぼくの『タンク・ノルマル』見てみますか?
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江口 ありがとうございます。実は松山さんがお持ちのプラチナ製『タンク・ノルマル』をぜひ一回拝見したかったんです。いやあ、これは市場にも出てこないし、私も初めて見ましたがすごいです・・・。
これは何年くらいのものなんですか?
松山 ロンドンのサザビーズに鑑定してもらったところ、1949年か50年くらいとのことでしたね。ぜんぜんいじってないですよ。
江口 まだルクルトムーブメントの時代で、文字盤にパリとかスイスとか入っていないんですよね。
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松山 そう。ぼくが買ったのは1980年代後半。テレビ番組の取材で行った南仏のニームという街の骨董屋さんで、たまたま出会ったんだ。ホワイトゴールドとも違うちょっと変わった色の『タンク』だなと思って見ていたら、店の親父が「わかるか、これプラチナだよ」って。手持ちの現金はなかったけど、ちょうどクレジットカードが出回り始めていた頃だったから、勢いで手に入れられたんだよね。その後、この街は大洪水で水没しちゃったから、ぼくが買わなかったら泥の中だよ(笑)。本当はこの時計以外にも、世界最小ムーブメントのルクルトもほしかったんだけどね。
うわあ、それは今でもニームの泥の中かもしれませんね。いつか化石になって出土したりして(笑)。
江口 いくらで買われたんですか?
松山 85万円。でも親父曰く、パリで買ったら300万円はするぞって言うから。
江口 当然、それくらいはするでしょうね。でも、当時の日本人でカルティエの時計に85万円出せるっていうのもすごいことですよ。その頃の日本では、パテック フィリップとかロレックスみたいな、わかりやすいブランドに人気が集中していたと聞きますから。
そうか、カルティエの時計の立ち位置は、現代とは全く違ったわけですね。
松山 ぼくがこれを買ったときは、日本ではすでにカルティエの時計は人気だったけど、ヴィンテージを買うという感覚はまだなかったかな。ニューヨークでは70年代から、カルティエのヴィンテージが正しく評価されていたけどね。
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江口 そうだったんですか。
松山 ベルトを換えてもらいにパリの本店に行ったときも、最初は店員さんが汚いものを触るかのように、指でつまんで持って行ったからね。でもバックヤードで怒られたんだろうね、戻って来るときは恭しくトレーに乗せられてた(笑)。
まだヴィンテージとしての価値はそれほど浸透していなかったんですね。
カルティエ『タンク』は
いかにして日本に広まったのか
江口 でも欧米では、その昔から、パテック フィリップをしているような紳士の奥さんがカルティエを着けていたり、旦那さんに贈ったりするような風習があったらしいですね。
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松山 上流階級の間では普通だったんだろうね。
日本ではどんな感じだったんですか?
松山 1972年、原宿にできた「パレフランス」というビルに、初めてカルティエのお店が入ったんだよ。そこでバッグやアクセサリーなんかと一緒に、時計も扱い始めた。
今はなき、竹下通りと明治通りの交差点にあったビルですね。グッチやセリーヌあたりのショップも入っていたという。
江口 トリニティリングとか、ボルドーのお財布みたいな世界ですね。
松山 そう。でも、ぼくが初めて『タンク』を見たのは、それよりちょっと早い71年。パリから帰って来たスタイリストの堀切ミロ(※)さんが着けていて、「いいでしょ」って見せてもらったのが最初だったと思う。
※/1943年生まれ。雑誌『anan』や『平凡パンチ』といった雑誌を手がけるなど、60〜80年代にかけて大活躍したスタイリスト。2003年に死去。
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江口 堀切ミロさん・・・ノートとってもいいですか(笑)?
松山 彼女はずいぶん前に亡くなったけど、スタイリストの草分け的存在だった。その頃のぼくは時計のことは知らなかったけど、60年代以降主流になったビッグサイズのスポーツウォッチと較べると、『タンク』の角型ケースはとても新鮮で格好よくてね。「いつか俺はこれを手に入れるぞ」って誓ったもんだよ。彼女が着けていたのは、たぶんホワイトゴールドだったんじゃないかなあ。
江口 初めてのステンレスモデルは1978年だから、きっとホワイトゴールドだと思います!
松山 そうだろうね。おそらくカルティエという名前を聞いたのも、それが最初だったと思う。当時、『パパ・ヘミングウェイ』というヘミングウェイにまつわるノンフィクションが流行っていたんだけど、その本ではカルティエのことが「カーチャー」って訳されているんだよね(笑)。それくらいカルティエは知られていなかった。ブランドとしては日本上陸後すぐに人気になったけど、『タンク』が知られるようになったのは1970年代後半くらいからじゃないかな。
江口 1976年に『マスト タンク(レ マスト ドゥ カルティエ タンク)』が登場してからですかね。
松山 あれはアラン=ドミニク・ペランさんという方が社長を務めていた時期につくられたんだよね。それまでカルティエの時計は量産していなかったけど、もうちょっと数を売ろうということで、メッキケースにして。『マスト タンク』以外だと、『サントス』のコンビモデルも人気のきっかけになったと思う。原宿の喫茶店「レオン」に集まるような業界人にも人気だったから。
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江口 あれは78年に発売していますからね。
松山 一般的にみんなが着け始めるのは、80年代に入ってからかな。
江口 そうですね。50年代までは多くても年に数百本しかつくってないですから、その時代のモデルはとても貴重ですよね。
松山 当時はパリとロンドンとニューヨークで別々につくってるんだけど、1930年代にネパール王子が注文した頃の『タンク・ノルマル』は、年に4〜5本くらいしかつくってないからね。あと、こんなのも持ってるよ。
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江口 おお〜。これも初めて見ました。ラグがなくていいですね。
きれいな文字盤だなあ。なんというモデルなんですか?
松山 それがわからないんだよ(笑)。『ベニュワール』みたいだけど、ちょっと違う。年代はその頃(70年代)のものみたいだけど。これは普段よく着けてるかな。
江口 型番から推察すると、73年以前ですね。
松山 こっちの『サントス』は確か79年だった。
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江口 これは限定ですよね?
松山 プラチナギルドとコラボレートしたやつ。
ってことは、プラチナケース・・・! しかし文字盤も、なんだか不思議な色ですね。
松山 赤数字なんだよ。で、カボションはサファイアじゃなくてルビー。
本当だ!
江口 70年代から、プラチナやホワイトゴールドにはルビーになったみたいですね。・・・うわ、このモデルもヤバい。バケットダイヤだ。しかもこれ、手巻きですか?
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松山 そう。手巻きの『カランドレ』。これは思いっきり珍しいと思う。乗馬の鎧(あぶみ)がモチーフなんだよね。
江口 うわあ。これはまずいですよ・・・(笑)。『カランドレ』って、見た目が女性的だからか、男性モデルは発売当時全然売れなかったんですよ。だから今やものすごく貴重です。私もアールデコな感じの時計が大好きなんですが、メンズサイズは初めて見ました。
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これはいつくらいに手に入れたんですか?
松山 80年代かな。横浜のお店で買ったと思う。実はこれ、ぼくがプラチナのタンクに合わせて買って、嫁にプレゼントしたんだよね(笑)。
江口 いやあ、本当に貴重なものを見せていただきありがとうございます。
松山 今見ると、『タンク』はこの小さなサイズがいいよね。デザインがキュッと締まってるから。現行のデカいのはちょっと、デレッとしてるかな(笑)。
江口 先ほど松山さんは60年代にスポーツウォッチが人気になったと仰いましたが、ドレスウォッチも年を経るごとにサイズアップして、特にパネライが登場した90年代以降は、ビッグサイズが当たり前になってしまいました。だから私がほしい時計って、もはやヴィンテージ以外になかったんですよね。
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中でも江口さんがカルティエに力を入れたのは、理由があるんですか?
江口 もちろんデザインやストーリーの魅力がありますが、私が集め始めた頃は、機械式時計として正当に評価されているとは言い難かったです。でも、マニュファクチュールを謳っているメーカーだって、昔は割と安易にルクルトベースのムーブメントを使っていたりするんですよ。そう考えるとルクルトと一緒にムーブメント会社をつくっていたカルティエだって、なんら劣ることはない。だから私の中では、カルティエは3大メーカー(パテック フィリップ、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン コンスタンタン)と同格だったんです。
松山 カルティエじゃないけど、これも面白いよ。フランスのルロワっていうブランドで、中身はエベルなんだけど、デザインはジェラルド・ジェンタ(※)なんだよ。
※/パテック フィリップの『ノーチラス』やオーデマ ピゲの『ロイヤルオーク』、ブルガリの『オクト』などの名作を手掛けた天才時計デザイナー。
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江口 え〜っ、そうなんですか?
松山 これも70年代のもので、要するにブルガリの『オクト』の原型なんだよ(笑)。この間、デザイナーに見せてあげたんだけど。
このオクタゴンケース、言われてみれば確かに似ている(笑)。
松山 ルロワっていうブランドはブレゲと同じくらい古い名門なんだけど、結局いろんな会社に名前を転売されて、もう残っていないね。最近も復活したけど、また聞かなくなったな。
時計でもファッションでも、休眠ブランドの名前を使ったビジネスは盛んですよね。
江口 結局時計のブランドビジネスって、なんだかんだいってもムーブメント製造が継続的にできるか否かという点が大きいので、やっぱりリシュモンとかスウォッチみたいなグループの傘下に入らないと、現代ではなかなか続けられないですよね。
機械式時計が滅びると
言われていた時代
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江口 松山さんが初めて買ったドレスウォッチって、ロレックスあたりだったんですか?
松山 いや、全然もっと安い時計ですよ。戦後の日本にたくさん入って来ていたスイスの量産品とか、アメリカの40〜50年代の時計とか。そうやって色々と知識を蓄えて、5年後にはスイスまで取材に行くようになるの。
たった5年で市場が確立したということですか?
松山 いや、まだ世の中はクオーツ全盛だった。ジャン-クロード・ビバー(※)さんがブランパンの名義を買ったり、フランク・ミュラーが時計をつくり始めたときなんて、業界ではバカにされてたくらいだし。
※/1949年生まれ。ブランパン、オメガ、ウブロといったブランドを手がけた、時計界における製品開発とマーケティング戦略の達人。
80年代初頭でも、まだそんな状況だったんですね。
松山 その時代で機械式時計を頑張ってつくっていたのは、ロレックスや3大メーカーあたりだった。まあ余力があったんだろうね。その中でもロレックスがいち早くウケたのは、値段も高くなかったし、使いやすい時計だったことが大きいよね。それでも70年代はあまり売れてなかったけど。
江口 クオーツ全盛の81年にスイスに行かれたときは、どんな感じでしたか?
松山 ああ、下手に見てると産業スパイ扱いされたよ。
江口 やっぱり(笑)!
松山 69年にセイコーがクオーツを開発したことで、70年代のスイスの時計産業はものすごいダメージを食らったんだよね。まあ、技術革新にはつきものなんだけど、ぼくはそんな状況に危機感を覚えて、70年代の後半からは一生懸命「POPEYE」で、機械式時計の魅力を書き始めた。でも81年はまだそんな時代だったから、どこに行っても「うちのクオーツ、日本に負けてないだろ?」なんて言われて、がっかりしながら取材してたよ(笑)。
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機械式時計を駆逐した日本から来たジャーナリストが、機械式時計ブームを牽引してきたというのも、面白い話ですね。
松山 まだ何もわからなかったけどね。それでも通うたびに時計産業や、ものづくりの背景を理解できるようになってきて、数年後にはジュウ渓谷までたどり着いた。昔から超複雑時計をつくれる職人たちが集まっていた場所ね。現地のパブなんかでは「日本人が来たぞ」みたいな感じで警戒されるから、みんなに一杯おごったりして、職人たちと仲良くなっていったんだよ(笑)。江口さん、この間新宿でやってたパテック フィリップの展覧会は見ましたか?
江口 もちろんです。
松山 あそこでも紹介されていたけど、20世紀初頭に、銀行家のヘンリー・グレーブスJr.と、自動車王のジェームス-ウォード・パッカードというふたりの時計愛好家が、複雑時計の注文競争をしていたんだよね。でも、結局そういうものをつくっていたのは、ジュウ渓谷の職人たちだったわけでしょ。当時は下請けみたいな扱いをされていたけど、彼らがいなかったらパテックだって、いいものはつくれなかった。
江口 それはすごくわかります。
そういう機械式時計の魅力にみんなが気付き始めたのは、いつくらいなんですかね?
松山 早い人は70年代後半に買い始めていた。やっぱり1番のインパクトはロレックスだったかな。アートディレクターの渡邊かをるさんは『バブルバック』を集めていたし、TUBEの斉藤久夫さんは『デイトナ』を買っていた。表参道のハナエ・モリビルの地下にあった「ソウルトリップ」というお店が、いち早くそういう時計を扱いだして。その後80年代にヴィンテージ時計のブームや、ロレックスをはじめとするスポーツウォッチブームが起きるんだよね。そういえば、江口さんが持ってるカルティエの『レベルソ』も、渡邊かをるさんが持ってたよ。
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渡邊かをるさんとは、VAN出身でのちに現代の魯山人と呼ばれた、ものすごいアートディレクターの方ですね。
江口 結局、当時の新作時計はクオーツばかりだったから、好きな人はヴィンテージを買うしかなかったんですね。
松山 当時はまだ、街の時計店にデッドストックの機械式時計が残っていたからね。お客さんが時計を修理に出したまま「クオーツを買ったからもういらない」って、ほったらかしにしたような在庫がたくさんあったんだよ。だからあの頃は全国時計屋巡りの日々(笑)。もう笑っちゃうような値段だったね。『バブルバック』を1万円で買ったこともあったし。ただ、世界にはぼく以外にも同じようなことをしていた人もいたんだよね。ニューヨークにあった「サンフランシスコ」というセレクトショップの、ハワードさんという店主もそのひとり。アメリカでは1971年のニクソン・ショック(※)によって金がすごく高騰したんだけど、みんなバカだから、機械式時計の金無垢ケースをどんどん溶かしちゃったんだよ(笑)。ハワードさんはそんな中から、たくさんの時計を救出したの。それこそ彼はパテック フィリップのコンプリケーションとかをいっぱい持ってたよ。ぼくも含めて、世界にそういう人たちがいたから、いいものが残ったんだよね。
※アメリカのニクソン大統領がドルと金の交換停止を含む経済政策を発表。これによって1ドル360円で固定されていた円ドル相場は、変動相場制へと移行した。
うわあ、今にして思えば宝の山ですけど、当時はそれほどまでにガラクタ扱いされていたんですね・・・。
ゼロ年代後半に江口さんが見た
古着とドレスウォッチの
ゴールドラッシュ
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江口 いやあ、すごい話ですね。私は松山さんがやられていたようなことを、古着でゼロ年代にやっていたんですよ。当時は質屋さんの質蔵に、高級時計のみならずエルメスの『バーキン』、ミンクのコート、初期のジョンロブみたいな名品がたくさん眠っていたんです。フェンディのミンクなんてすごくいいものなのに、北欧のサガミンクのほうが人気でしたから、ものすごく買わせてもらいました。今や高騰しているアルニスやマルジェラ期のエルメスだって、めちゃくちゃ安かったですから。
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お〜。ゼロ年代の日本にもゴールドラッシュはあったんですね(笑)!
松山 江口さんはいつくらいから時計を買い出したんですか?
江口 2008年か2009年頃ですね。この時代は30年代のブレゲ針を使ったカルティエの『カレ・オビュ』とかが20万円くらいで買えたんですよ。ロンドンのポートベローや香港などに、ものすごくいいものが安く売っていました。すでに古着の仕事を始めていたので、タイに買い付けに行った帰りに香港に寄って、時計を買ってくる、みたいな感じでしたね。
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松山 いいタイミングだったんだね。
江口 そうですね。ロレックスのスポーツウォッチはすでに人気でしたが、こういった時計は、少なくとも同世代の同業者は誰も目を付けていなかったです。
ぼくも当時はベル&ロスのデカ厚時計を着けてたなあ。もっと早く気づいていればよかった(笑)。
機械式時計の背景にあるもの
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松山 最近の若い時計好きって、どんな人たちなんですか?
江口 私たちのお客さんはちょっと特殊なんですが、全体的にいうと背景よりも見た目やトレンドに偏ってしまう傾向はちょっとありますね。ブランドには興味があっても、どこでつくられたものなのかは、さほど気にしていなかったり。それは洋服についても同じです。私も危惧していることなんですが。
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松山 ブランドや希少価値だけが評価されるのはつまらないよね。スイスのジュウ渓谷には昔ヴィクトラン・ピゲという家族経営の工房があって、パテック フィリップの最初のパーペチュアルカレンダーは、そこがつくっていたんだよ。ぼくは1990年代にミシェル・キャスパーという時計師の取材でジュウ渓谷に行ったんだけど、彼に「ヴィクトラン・ピゲの工房ってどこにあったんですか?」って聞いたら、「きみ、なに言ってんの? このアトリエがそれだよ」って(笑)。 その建物の上階には、ピゲ家の末裔であるアンリ=ダニエル・ピゲさんがまだ住んでいて、のちに取材させてもらいましたよ。ピゲさんは高齢ですでにリタイアされていたけど、自分たちがつくってきた時計やムーブメントの写真を貼り付けて、納品金額を書き込んだアルバムを見せてもらってね。時計師とはいえやっぱり昔の田舎は貧しかったから、ピゲ家は製氷の事業も興して、できた氷を運ぶために鉄道を敷いて、という暮らしをしていたことも教えてもらった。もう涙が出てきたよ。そういう下支えの歴史があって時計産業が発展してきたということを、絶対に忘れないでもらいたいんだ。
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江口 本当にそれが大事だと思います。でも、どうしても時計の世界って、メーカーというかブランドばかりがもてはやされがちではあるんですが。
松山 でも、江口さんのところも、自前で修理工房を抱えているんですね。素晴らしいことだと思いますよ。
江口 そうなんです。やっぱり自分たちが販売する時計は、自分で修理したいですから。ぜひ工房も覗いていってください。
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松山 でも最近は、ブランドがパーツを供給しなくなってるでしょう? そもそもパーツを持っていないことも多いし。
江口 そうですね。いわゆる3大ブランドは永久保証ではありますが、ちょっと古い時計になってくると、ものすごい修理代になってしまいます。
今やちょっとした修理でも本国送りになって、あっという間に40万円オーバーですね(笑)。
江口 でも、私たちはヴィンテージといってもある程度数を仕入れているので、なんとかパーツも確保できていますし、修理代も抑えられていると思います。
松山 若い職人さんたちは多いんですか?
江口 はい。「ヒコ・みずのジュエリーカレッジ」さんや「近江時計眼鏡宝飾専門学校」さんといった専門学校で学んだ人が、修理技術者として来てくれる傾向にあります。やっぱり高級機械式時計ブームに伴って、時計をつくりたいという若者は増えていると思いますよ。もちろんそうした中で、修理の職人になろうという人たちも増えています。ただ、今は時計づくりや修理の分野も、3Dプリンターをはじめとする機械で行う工程が増えていますから、昔とはちょっと違いますよね。
松山 その技術革新は時計だけに限らないよね。現代の時計づくりは、マイクロエンジニアリングと昔ながらの手作業、両方に長けていないと。
江口 実はそんな状況も鑑みて、私たちはこれからもっと修理に力を入れたいと思っているんです。今年中にも、この吉祥寺店は修理工房だけの空間にして、お店は渋谷区の松濤に移転する計画を進めています。経験豊かな技術者を時計業界にたくさん輩出できるような、ほかにはない会社に成長していけたら嬉しいですね。
松山 それは楽しみだね。こういうお店や修理工房を通して、若い人たちに機械式時計の背景にあることを、もっと知ってもらいたいよね。
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- 江口時計店
住所/東京都武蔵野市吉祥寺本町1-34-11
TEL/0422-27-2900
営業時間/11時〜19時
休業日/火曜日