赤峰さんの白熱授業!
若者にこそ
知ってもらいたい
濱田庄司と
民藝の哲学
談/赤峰幸生
撮影・文/山下英介
「ぼくのおじさん」が民藝&濱田庄司特集をつくるにあたって、まずお話を伺ったのは、赤峰幸生さんだ。1960年代から民藝に共鳴し、公私ともに大きく影響されてきたと語る赤峰さんに、その哲学と日々の暮らしにおける活かし方を教えてもらった。ハリボテじゃない本物の〝美〟を見抜く力を、民藝から学ぼうじゃないか。
美は理論ではなく
直観で見抜け
私が民藝に出会ったのは19歳の頃。当時通っていた桑沢デザイン研究所の授業で、日本民藝館に行ったことがきっかけです。1960年代初頭といえば、若者たちの誰もがアメリカに憧れていた時代。もちろん私もそのうちのひとりでしたが、日本民藝館によって、自分の根っこに存在するものに気付かされました。自分が今まで住んできた目黒碑文谷の日本家屋や、そのまわりで見てきた四季折々の風景が、どれほど美しいものだったか。
以来、長い時間をかけて自分なりに民藝を研究してきましたが、その立役者である柳宗悦の〝直観〟という考え方に、私は深く影響されました。どこ製でどんな素材を使って、どのブランドがつくったか・・・。そんな知識や情報に捉われていたら、本当に美しいものは見抜けない。美とは、理論ではなくて直観で受け止めるべきなのだという思想です。
柳宗悦は民藝思想の根本を仏教美学に見出し、インドの〝知〟中国や朝鮮の〝行〟に対する日本の〝眼〟という考え方を説きました。私たち日本人は、古くから海外の文化を見出し、それらを咀嚼することで、茶道、剣道、柔道のように精神性をも帯びさせた〝道〟の域まで高める力に優れていましたから。これを洋服をつくる私に置き換えると、英国の〝知〟欧州の〝行〟、そして日本の〝眼〟となるでしょう。そうした考えに至ったことで、日本の魂をもって洋服の文化を咀嚼するという私の生き方、すなわち〝和魂洋装〟が定まったのです。
インドの〝知〟。支那(中国)の〝行〟。日本の〝眼〟。そんな柳宗悦の考えを自分流に咀嚼して辿り着いたのが「和魂洋装」の境地。これが赤峰さんの哲学であり、服づくりなのだ。
ですから、私は民藝に惹かれているからといって〝民藝風〟の服をつくりたいとは思わない。スコットランドの羊の手触り、イタリアの名もなきタペストリーの色、樹齢300年のブナの木の模様・・・。私が美しいと感じたものすべてを混ぜて咀嚼して、皆様の暮しに役立つ〝洋服〟をつくりたい。それが私にとっての民藝です。
濱田庄司に学ぶ
美意識の養い方
そうした意味で、今回「ぼくのおじさん」が特集する濱田庄司には、私は深く敬意を覚えています。彼は、柳宗悦や河井寛次郎らとともに、民藝という概念を生み出した人物です。そして思想家だった柳宗悦とは異なり、ひとりの実践者として益子という窯業の産地だった田舎に根をおろした。そしてこの地で生きる職人たちに、日本人の新しい暮らし方に合った器をつくらせたのです。彼はきっと、この村の土を愛し、この土の中で死にたい・・・つまり土になりたいと思ったのでしょう。そんな真剣な思いが産地を変え、人々の暮らしを変えたのです。
赤峰さんにインスパイアを与え続ける、「濱田庄司記念益子参考館」の風景。自然の美と、自然に敬意を捧げる人間が生み出した美とが渾然一体となった、他にはない空間だ。
濱田庄司が自身の自宅を改築してつくった「濱田庄司記念益子参考館」には、開館の頃から通っていますが、その庭には二十四節気の中で咲く花がすべて植えられている。いつ行っても美しい季節の花を楽しむことができるのです。これはまさに彼の計算でしょう。彼は、自分が本当に美しいと思い、超えられないものをこそ手に入れてしまうということを語っていますが、その気持ちもよくわかります。本当に美しいものは、ものが語りかける。ざわめいているのです。
先ほど〝直観〟と言いましたが、そうした本物の美を瞬時に見抜く力を養うためには、もちろん修練が必要です。といっても、たまに本を読んだり、美術館に行ったからって、身に着くはずはありません。毎朝決まった時間に起きて、四季折々の自然の中で体を動かすことで自身の眼と心に栄養を与え、それから仕事に入るということを繰り返す。私も毎朝日の出とともに多摩川のほとりを散歩していますが、この〝毎日〟というのが最も大切なこと。体の健康はジムでつくれるかもしれませんが、心の健康は高層ビルに囲まれていても養えませんから。
毎朝欠かさず多摩川沿いを1時間以上散歩し、日々変わりゆく自然の美に心洗われる赤峰さん。こうした日常の積み重ねが、そのセンスの源泉なんだろう。
どんなに美しい色も、自然には勝てない。その毎日の実感こそが、美意識を養うのです。民藝の考え方やその産物も、そんな皆さんの暮らしに役立つに違いありません。
今年1月に起きた能登地方の大地震によって、多くの古い日本家屋が潰れています。もしも私にそのお金があったら、壊れた材木や瓦を被災者の方々から買って、つくり直して、地域の方々のお役に立ちたい。すべてをブルドーザーでなぎ倒して捨ててしまうなんて、とても耐えられません。もし濱田庄司が生きていたら、きっとそんなふうに思うことでしょう。